「イエメンモカ」の謎

「イエメンモカ」の謎

イエメン・バニー・マタルとの出会いと驚き

「イエメンモカ」

焙煎機よりパチパチ、チィチィチィとハジケの音が聞こえ、一気に緊張感が高まる、とその瞬間、終焉の時を迎え冷却器に・・・遠いイエメンより歴史と共に、異国の地で火によって命を吹き込まれたコーヒー。煙から立ち込める、その情熱(?)のスパイシーなアロマが鼻孔に漂う時、イエメンの紺碧の空の下、山岳地帯で大切に育てられているコーヒーノキの風景が脳裏をかすめます。「モカ・マタリ」といえば、コーヒー好きでなくても誰でも知っていると思います。しかし、モカ・マタリがアラビア半島の南端の「イエメン」という国で産出されていることは、意外と知らない方が多いのではないでしょうか。

イエメン・モカ・マタリは、近年まで、香り、形、産地、等級など謎の部分が多くあり、クズ豆や欠け豆がやたらに多い、コーヒー店泣かせのコーヒーでした。1990年に、大阪で開催された「花と緑の博覧会」で、「イエメン花博を成功させる会」のメンバーと日本のコーヒー商社「ワタル(株)」、そしてイエメン3大商人のひとつ「K社」の尽力によって、「イエメン・バニー・マタル・コーヒー」が提供され大好評を博しました。
このコーヒーは、初めて産地を限定した歴史的なコーヒーでした。その後、一般にも売り出されるようになったので、私も早速取り寄せてみました。麻袋の中には10kgの小袋が6個入っており、小袋を開けると、若草やシナモン、ナツメグなどスパイシーなさわやかな香りをほのかに含む、小粒で黄色みを帯びたゴールデン・ビーンズ。それはクズ豆が少なく、今までのイエメンモカ・マタリとは明らかにちがっていました。焙煎すると、香味は俗に言われるモカ臭(発酵臭)がなく、生豆に感じられた香りとは、また違ったスパイシーで爽やかな香り、独特な甘み、なめらかな舌触りなど、コーヒーが持っている全ての味が見事に調和されていました。そんなイエメン・バニー・マタルでも、毎年、多少の品質の違いがありましたし、欠け豆は相変わらず多く入っていました。

  • 「イエメンモカ」
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写真上:イエメンコーヒーの産地。標高2000mもの高地の山腹に段々畑を作り、コーヒー豆を栽培している。(バニー・イスマイル地方)

ある時、ふるいにかけてかけ豆や小粒な豆を徹底的に取り除き、粒揃いを一定にして焙煎してみると、予想に反してとてもおとなしい軽やかな単調な香味になってしまいました。「ひょっとしたら、イエメン・モカはいろいろな豆が混ざっているからバランスが良いのか?自然がもたらすブレンドと考えたら?欠け豆は悪い豆ではないのでは?」イエメン・モカの謎は深まるばかりです。

コーヒーのルーツ「イエメン」を訪れる旅へ

「イエメンに行ってコーヒーの赤い実を食べてくるだけでも違いますよ。」95年、福岡の名店『コーヒー美美』の森光宗男さんに言われた言葉が、昨日のことのように感じます。「食は文化」とよく言われます。「コーヒー」という他の国で創られた食文化を自分の国の食文化に創り変えるのですから、まず産出国を理解しなければなりません。しかし、残念ながら当時は、イエメンに関する情報がほとんどありませんでした。
そこで私は、自分の足で、コーヒーのルーツ「イエメン」を訪れることにしました。96年、97年、98年と毎年、1月の初めに2週間程度、バニー・マタル地方をはじめとして、イエメンのほとんどの産地を訪れました。これらの中には、外国の商社はもとより、イエメン国内の商社ですら訪れたことがない産地が数多くありました。
ブラジルやコロンビアのコーヒー豆が産地によって味が異なるように、イエメンのコーヒー豆も産地によって、味、香り、形などは随分違います。歴史、産地、土壌、風土、精製、等級、保管、出荷(輸出港)など、私がイエメンを訪れる以前に感じていた様々な疑問、間違っていた知識など、少しでもわかりやすいようにイエメン・モカコーヒーの謎をひもといていきたいと思います。

イエメン・バニー・マタルとの出会いと驚き

写真上:現在、イエメンでコーヒーの輸出港となっているのは、紅海に面したホデイダの港と、インド洋に面したアデンの港。

二つの「モカ」が生まれた歴史的背景を探る

「モカ」という冠がつくコーヒーは、「モカ・マタリ」のイエメン産と、「モカ・ハラール」「モカ・ジンマ」などのエチオピア産の二つがあります。この「モカ」はイエメン共和国の紅海に面した西海岸の港町「モカ」から由来しています。1454年、イエメン国アデンのイスラム教の宗教学者・ザブハニーが、コーヒーの飲用を初めて一般の人に公開しました。そうしてコーヒーの飲用は、メッカを中心にイスラム教世界に瞬く間に広がりました。
やがてオスマン・トルコ帝国中に広がり、エジプトのカイロ、アレキサンドリアを介し、キリスト教世界(ヨーロッパ)にも広まります。
17世紀には、オランダをはじめとしてイギリス、フランスがイエメンコーヒー豆の輸出盛況時代を迎えたのです。当時ヨーロッパでは、コーヒーのことを「モッカ」と呼んでいたくらい「イエメン・モカ・コーヒー」はヨーロッパ人の生活に急速に浸透していきました。
しかし、イエメンにおけるコーヒーの生産量は、とても列強の国を満足させるだけの収穫がなかったのでしょう。すぐ海を隔てたエチオピアのコーヒー豆も、モカの税関を通してヨーロッパに輸出されました。
当然、エチオピア産のコーヒー豆も「モカ」として取り引きされたのです。一説には、上級品(イエメン産?)を「トルコ豆」、下級品(エチオピア産?)を「インド豆」と呼んで取引していたとも言われています。現在、日本でもこれに似た「偽イエメン・モカ・マタリ」が売られているといった噂話を聞いたことがありがすが、真相は明らかになっていません。

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写真上:かつてコーヒーの輸出港として繁栄したモカの港。写真左は税関、写真右はコーヒーの商館だといわれているが、現在は廃虚と化している。

今だに「モカ」という名が残っている不思議

17世紀の後半になると、オランダは植民地であるジャワ島にイエメンからコーヒーノキ(アラビカ種)を密かに持ち出し植樹して、コーヒー産業を世界的な商売としました。1723年にフランスもまた、イエメンのコーヒーノキ(アラビカ種)を南米ギアナに植樹しました。
1727年、その南米ギアナよりポルトガル領ブラジルに植樹され、やがてブラジルは世界一のコーヒー生産大国となったのです。こうして世界各国で、コーヒー栽培が行われるようになると、高価なモカコーヒー豆はだんだん需要が減っていきます。
19世紀終わりには、取引高が激減したモカの港は廃港同然となり、世界に向けたコーヒーの輝かしい輸出港としての歴史を閉じることになりました。現在、イエメンではインド洋に面したアデンの港と、紅海に面したホデイダの港が、エチオピアではジブチの港がコーヒー輸出港となっています。モカの港からは一切コーヒーは輸出されていないのです。
しかし、いまでも愛称として両国のコーヒーには「モカ」の冠がつくのです。実際、この両国のモカ・コーヒー豆はよくにています。産地による違いがあるので、一概にはいえませんが、全般的にイエメンのコーヒー豆は小粒で丸く黄色みかかって弾力性があり、一般に「モカ臭」といわれるような発酵臭(?)はなく、スパイシーで爽やかな香りを有しています。また、エチオピアのロングベリーといわれるような、大粒な豆はイエメン産のコーヒー豆にはほとんどありません。
私論ですが、一般のお客が「二つのモカ」を誤解しないように、モカの前に是非、国名を入れることを提案したいと思います。「イエメン・モカ・マタリ」や「エチオピア・モカ・ハラール」といったように。

コーヒー原産地報告『待夢珈琲店』今井利夫
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