イエメンについて
「コーヒー」という他の国で創られた「食文化」を自分の国の食文化に創り変えるのですから、まず産出国を理解しなければなりません。
しかし、残念ながら当時は、イエメンに関する情報がほとんどありませんでした。
そこで私は、自分の足で、コーヒーのルーツ「イエメン」を訪れることにしました。
96年、97年、98年と毎年、1月の初めに2週間程度、バニー・マタル地方をはじめとして、イエメンのほとんどの産地を訪れました。
その体験したレポートを、ここにまとめます。

「イエメンモカ」の謎
イエメン・バニー・マタルとの出会いと驚き

焙煎機よりパチパチ、チィチィチィとハジケの音が聞こえ、一気に緊張感が高まる、とその瞬間、終焉の時を迎え冷却器に・・・遠いイエメンより歴史と共に、異国の地で火によって命を吹き込まれたコーヒー。煙から立ち込める、その情熱(?)のスパイシーなアロマが鼻孔に漂う時、イエメンの紺碧の空の下、山岳地帯で大切に育てられているコーヒーノキの風景が脳裏をかすめます。「モカ・マタリ」といえば、コーヒー好きでなくても誰でも知っていると思います。しかし、モカ・マタリがアラビア半島の南端の「イエメン」という国で産出されていることは、意外と知らない方が多いのではないでしょうか。
イエメン・モカ・マタリは、近年まで、香り、形、産地、等級など謎の部分が多くあり、クズ豆や欠け豆がやたらに多い、コーヒー店泣かせのコーヒーでした。1990年に、大阪で開催された「花と緑の博覧会」で、「イエメン花博を成功させる会」のメンバーと日本のコーヒー商社「ワタル(株)」、そしてイエメン3大商人のひとつ「K社」の尽力によって、「イエメン・バニー・マタル・コーヒー」が提供され大好評を博しました。
このコーヒーは、初めて産地を限定した歴史的なコーヒーでした。その後、一般にも売り出されるようになったので、私も早速取り寄せてみました。麻袋の中には10kgの小袋が6個入っており、小袋を開けると、若草やシナモン、ナツメグなどスパイシーなさわやかな香りをほのかに含む、小粒で黄色みを帯びたゴールデン・ビーンズ。それはクズ豆が少なく、今までのイエメンモカ・マタリとは明らかにちがっていました。焙煎すると、香味は俗に言われるモカ臭(発酵臭)がなく、生豆に感じられた香りとは、また違ったスパイシーで爽やかな香り、独特な甘み、なめらかな舌触りなど、コーヒーが持っている全ての味が見事に調和されていました。そんなイエメン・バニー・マタルでも、毎年、多少の品質の違いがありましたし、欠け豆は相変わらず多く入っていました。
写真上:イエメンコーヒーの産地。標高2000mもの高地の山腹に段々畑を作り、コーヒー豆を栽培している。(バニー・イスマイル地方)
コーヒーのルーツ「イエメン」を訪れる旅へ
「イエメンに行ってコーヒーの赤い実を食べてくるだけでも違いますよ。」95年、福岡の名店『コーヒー美美』の森光宗男さんに言われた言葉が、昨日のことのように感じます。「食は文化」とよく言われます。「コーヒー」という他の国で創られた食文化を自分の国の食文化に創り変えるのですから、まず産出国を理解しなければなりません。しかし、残念ながら当時は、イエメンに関する情報がほとんどありませんでした。
そこで私は、自分の足で、コーヒーのルーツ「イエメン」を訪れることにしました。96年、97年、98年と毎年、1月の初めに2週間程度、バニー・マタル地方をはじめとして、イエメンのほとんどの産地を訪れました。これらの中には、外国の商社はもとより、イエメン国内の商社ですら訪れたことがない産地が数多くありました。
ブラジルやコロンビアのコーヒー豆が産地によって味が異なるように、イエメンのコーヒー豆も産地によって、味、香り、形などは随分違います。歴史、産地、土壌、風土、精製、等級、保管、出荷(輸出港)など、私がイエメンを訪れる以前に感じていた様々な疑問、間違っていた知識など、少しでもわかりやすいようにイエメン・モカコーヒーの謎をひもといていきたいと思います。

写真上:現在、イエメンでコーヒーの輸出港となっているのは、紅海に面したホデイダの港と、インド洋に面したアデンの港。
二つの「モカ」が生まれた歴史的背景を探る
やがてオスマン・トルコ帝国中に広がり、エジプトのカイロ、アレキサンドリアを介し、キリスト教世界(ヨーロッパ)にも広まります。
17世紀には、オランダをはじめとしてイギリス、フランスがイエメンコーヒー豆の輸出盛況時代を迎えたのです。当時ヨーロッパでは、コーヒーのことを「モッカ」と呼んでいたくらい「イエメン・モカ・コーヒー」はヨーロッパ人の生活に急速に浸透していきました。
しかし、イエメンにおけるコーヒーの生産量は、とても列強の国を満足させるだけの収穫がなかったのでしょう。すぐ海を隔てたエチオピアのコーヒー豆も、モカの税関を通してヨーロッパに輸出されました。
当然、エチオピア産のコーヒー豆も「モカ」として取り引きされたのです。一説には、上級品(イエメン産?)を「トルコ豆」、下級品(エチオピア産?)を「インド豆」と呼んで取引していたとも言われています。現在、日本でもこれに似た「偽イエメン・モカ・マタリ」が売られているといった噂話を聞いたことがありがすが、真相は明らかになっていません。
写真上:かつてコーヒーの輸出港として繁栄したモカの港。写真左は税関、写真右はコーヒーの商館だといわれているが、現在は廃虚と化している。
今だに「モカ」という名が残っている不思議
17世紀の後半になると、オランダは植民地であるジャワ島にイエメンからコーヒーノキ(アラビカ種)を密かに持ち出し植樹して、コーヒー産業を世界的な商売としました。1723年にフランスもまた、イエメンのコーヒーノキ(アラビカ種)を南米ギアナに植樹しました。
1727年、その南米ギアナよりポルトガル領ブラジルに植樹され、やがてブラジルは世界一のコーヒー生産大国となったのです。こうして世界各国で、コーヒー栽培が行われるようになると、高価なモカコーヒー豆はだんだん需要が減っていきます。
19世紀終わりには、取引高が激減したモカの港は廃港同然となり、世界に向けたコーヒーの輝かしい輸出港としての歴史を閉じることになりました。現在、イエメンではインド洋に面したアデンの港と、紅海に面したホデイダの港が、エチオピアではジブチの港がコーヒー輸出港となっています。モカの港からは一切コーヒーは輸出されていないのです。
しかし、いまでも愛称として両国のコーヒーには「モカ」の冠がつくのです。実際、この両国のモカ・コーヒー豆はよくにています。産地による違いがあるので、一概にはいえませんが、全般的にイエメンのコーヒー豆は小粒で丸く黄色みかかって弾力性があり、一般に「モカ臭」といわれるような発酵臭(?)はなく、スパイシーで爽やかな香りを有しています。また、エチオピアのロングベリーといわれるような、大粒な豆はイエメン産のコーヒー豆にはほとんどありません。
私論ですが、一般のお客が「二つのモカ」を誤解しないように、モカの前に是非、国名を入れることを提案したいと思います。「イエメン・モカ・マタリ」や「エチオピア・モカ・ハラール」といったように。

欠け豆に隠された秘密
幸福のアラビア イエメン

イエメンは、気候や習慣などが日本とは大きくことなります。国民のほぼ100%がイスラム教ということもあり、イメージしにくい部分も多いと思いますので、今回は、まずはじめにイエメン共和国の概略を簡単に説明します。昔から「幸福のアラビア」と呼ばれ、コーヒーのルーツとも言われている国「イエメン」について、皆様にも知っていただきたいと思います。
イエメン珈琲のランク分け取引エリア
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ランクA
- バニー・マタル
- バニー・イスマイル
- ハウラーン
- ハイマー
- サイヒ
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ランクB
- ヤーファ
- ハラス
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ランクC
- シャルク
- アーネス
- ブラ
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ランクD
- ライマー
- ハッジャ
- オダイン
※3位までのランキングはあまり変動しないが、3位以下の産地は年によって、ランクが変動する。
「イエメンという国は、どのような国なのか
- 【位置】
- アラビア半島の南端(サウジアラビアの南でオマーンの西)に位置し、首都はサナアです。
国土は、南北に およそ北緯17度30分から12度30分まで、東西に東経42度30分から53度30分までを 占めていて、南はインド洋に面し、西は紅海に面しています。 - 【気候】
- 亜熱帯気候で、一年に雨期が回あるが、紅海沿岸の平原や内陸砂漠部は海抜1000~2200mの山岳地帯で、 中東には珍しく年間降水量が1000~1500mmくらいあります。
- 【宗教】
- ほぼ100%イスラム教で、シーア派、スンニ派など、宗派は様々。
イスラム教はアルコールの飲用を禁じています。よってコーヒーの皮殻で作る「ギシル」とコーヒーの豆を焙煎して作る「ブン」の二つのコーヒーの飲用文化や、「カート」(アカネ科の植物の葉で錯覚作用がある)を噛む習慣が始まったと言われています。 - 【政治制度】
- 立憲、大統領で、憲法に基づき国民から選出された議会が立法権を持っています。
しかし、部族の掟が重視されています。 - 【生活・産業】
- 基本的には自給自足で国民の7割が農民です。しかし、生産性は低く農業生産額は国民総生産の3割を切っています。その中でもコーヒーは、唯一、外貨獲得に貢献する貴重な農産物です。
コーヒー以外の外貨獲得の手段としては、外国(主にサウジアラビア)に出稼ぎ労働するくらいしかなかったのですが、1984年にようやく発見された石油、天然ガスが今後の主力産業として期待されています。 - 【歴史】
- 紀元前にシバの女王で有名な「シバ王国」として栄えました。海のシルクロードやスパイスロードと呼ばれ、インドやアフリカと東地中海ヨーロッパを結ぶ重要な中継点でした。
コーヒーの飲用のルーツ、イエメン・モカ・マタリは「琥珀の女王」とも呼ばれますが、これは香味が秀逸で滑らかで、とても繊細で女性的なコーヒーということと、「シバの女王」を組み合わせた言葉なのでしょう。

写真上:山に囲まれた首都のサナア。国民のほぼ100%がイスラム教で占められるイエメン。日本とはまったく異なる町並みが広がっている。
「伝統的農業技術がイエメンコーヒーを支える
コーヒーノキは、内陸山岳部地帯の高度1000~2000mまでの年間降水量1000mm位の山岳地帯に植えられています。テラス(斜面)やワディ(枯れ川)沿いを活用し、幅広く栽培されています。農法は、1年に2回ある雨期による雨水による天水農法で、自然の雨水を最大限に活用した、昔からの伝統的農業生産技術によって行われています。険しい山岳地帯の山間の斜面でも、庭ほどの数十、数百段の段々畑を連ねて、雨水を効率よく使って生産されています。しかし、必ずしも雨量は毎年安定しているわけではなく、時には長い干ばつが起こることもあります。安定した収穫量を得るには、貯水所や地下水などの灌漑設備が必要ですが、実際にはほとんどの産地には設置されていないのが現状です。気温は、日中は一年を通してだいたい30度前後ですが、年格差よりも、昼夜の温度差の方が大きく、冬の夜間では2~3度くらいまで下がるところがあるほどです。
高地になればなるほど昼夜の温度差が激しく、霜はおりないが、霧がよく発生します。この霧の発生は、世界の優良なコーヒーの産地のほとんどが、そうであるように、また高原野菜がおいしいように、良い農産物を作り出す必須条件のひとつなのです。土壌は、イエメンの山岳地帯のほとんどが火山岩質で、ミネラルに富んでいて豊かな収穫を約束してくれます。

(写真上:良質なコーヒー豆が採れることで有名なバニー・マタル地方の栽培地。普及率はかなり低いが、万一の干ばつに備えて、貯水池からの灌漑設備を設置するところもある。)
このように、イエメンでは良質なコーヒーを生産する条件が、ほとんど揃っていると言えます。しかし、一地域のコーヒー生産量は少なく限定されています。
その要因として、まず考えられるのが、多くの若者が外国(主にサウジアラビア)に出稼ぎに行ってしまうことです。そのため、労働力が低下し、なかなか生産性をあげることができません。また、産地が険しい山岳地帯にあり、絶対的な農耕面積が狭いのに加え、自給自足の生活が基本ゆえ、その土地で一番確実に収穫できる主食農業作物が優先されるからなのです。 しかし、最も大きな理由は、イエメン人には絶対に欠かせない「カート」の栽培地域が、コーヒーの栽培地域と共通することです。自分たちが消費する「カート」の栽培に力を入れるため、コーヒーの栽培面積が縮小することはあっても、拡大することがないからです。
欠け豆に隠された秘密欠け豆に隠された秘密イエメンの国内で分けられる独自のランキング表では、“D”のハッジャ。何十段にも積み重ねられた段々畑は、山岳地帯のイエメンでは一般的に見られる景色だ。
「欠け豆が、イエメンコーヒーの良さの基準?
イエメン国内では、コーヒー豆の大きさによってランク分けすることはありません。イエメンのコーヒー商社、K社の説明によると、昔から独自の方法により、コーヒーを四つのランクに分けて取引しているそうです。(別表参照)
それでは、イエメンの評価ランキングは、何を基準にして決められるのでしょうか。それは、産地の標高、香り、形、色、味、その年の収穫の良否など、総合的に判断されるそうです。産地は、低産地(1000m前後)のコーヒー豆は評価が低く、高産地(2000m前後)になるほど評価は高くなります。豆の香りは、フルーティーな香りが強い物が良質とされています。形は、イエメンのコーヒー豆はアラビカ種の原種に近いので、豆の形は全般的に小粒です。特に高産地になればなるほど、丸みを帯びた小粒な豆になります。脂肪が豊かで、豆が柔らかいので、脱穀(注・石臼を使用)をする時に、豆がセンターカットに沿って割れ、欠け豆になりやすいのです。
そうです!私たちが必死になってハンドピックで取り除き、捨ててしまっていた、あの欠け豆は、実はイエメンの優良コーヒーを示す「証明書」だったのです。色は、オイル分を多く含む、黄色みを帯びたゴールデン・ビーンズが良質とされていて、手に持ってみると、まるでロウのような感触がして、ライターで火をつけてみると、煙が多く出てオイルが浮き出ます。味は甘みが多く豊かな味わいの物が上質とされます。イエメン・コーヒーを選ぶ基準にしてみてください。

バニー・マタル3地域のコーヒー
「モカ・マタリ」は「イエメン・コーヒー」の総称?

バニー・マタル3地域のコーヒー 「バニー・マタル」(登録商標では「バニーマタル」)は、名著『オール・アバウト・コーヒー』(ウィリアム・H・ユーカーズ著)によると、「ベニマタ」と翻訳されていて、イエメン国内でも、昔から最も優良なコーヒーを産出する地方として有名です。アラビア語で「バニー」は「子孫」、「マタル」は「雨」を意味します。
直訳すると「雨の子孫達」となり、名前からも雨に恵まれた地方であることが想像できると思います。
現在、私達がイエメン・コーヒーの総称(?)として使っている「モカ・マタリ」は、本来、このバニー・マタル地方で採れたコーヒー豆のことだけをいいます。
イエメン各地でコーヒーが収穫されていた19世紀までは、繁栄を誇っていた、紅海沿岸のモカの港町から世界各地にコーヒーが輸出されていました。当時から、イエメン・コーヒーの中でもバニー・マタル地方で収穫されたコーヒーは、特に良質であったのでしょう。他のイエメン・コーヒーと区別するために、豆に地域名をつけて輸出されていたのです。つまり、「モカ港から輸出されるバニー・マタル」の「マタル」が名詞化して「マタリ」となり、「モカ・マタリ」と呼ばれるようになったと考えられます。
しかし、「モカ・マタリ」と呼ばれるコーヒーの「高級ブランド」には、バニー・マタルの豆だけではなく、他の地方の豆も含まれていたのです。いつしか時代の流れの中で、イエメン・コーヒーは、ヤーファ産(バニー・マタル地方の南東)の豆も、ハッジャ産(同、西)の豆もすべて「モカ・マタリ」と呼ばれるようになってしまったのです。
バニー・マタル3地域のコーヒーバニー・マタル3地域のコーヒー 日本で一般的に売られているイエメン・コーヒーは、「マタリ999」や「マタリ777」の名称で売られていますが、この「マタリ」も本来の「バニー・マタル産」という意味で使われているのではなく、「イエメン産コーヒー」の意味(中にはバニー・マタル地方の豆も含まれるのでしょうが、100%ではない)と知っておいてください。
写真上は、ヒラーラで訪れた農園の農園主と村民。コーヒーの樹1本1本が、規則正しく植えられ、手入れの良さがうかがわれる。
バニー・マタル地方に見られるコーヒー栽培事情
コーヒーの収穫期は11月から1月までです。バニー・マタル地方のコーヒー産地は、大きく分けると、三つの地域から成立していけます。山岳地帯の山間に位置する、「ハイダル・ジャルク」、斜面のテラス(山の斜面)にある「ヒラーラ」、ワディー(涸れ川)沿いに畑が連なる「ブクラン」です。
ハイダル・ジャックは、標高2000m前後の地域にあり、約70の部落が点在しています。1000本単位でコーヒーの樹が植えられている畑が、険しい山脈の谷間に延々と続いています。あまりにも険しい山地のため、トラックなどが入り込めず、ここで収穫したコーヒー豆は、いまだにロバを使って運んでいるそうです。
ヒラーラでは、標高2000m前後のテラスの段々畑に、コーヒーが栽培されています。私が訪れた南斜面の農園は、とても手入れが行き届いていて、8000本から1万本のコーヒーの樹が栽培されていました。樹高は2mから4m位、なかには100年近くは経っていると思われる古木もあり、イエメンでのコーヒー栽培の歴史の古さに驚かされました。それぞれのコーヒーの樹は、規則正しく植えられ、畑ごとに樹の大きさも揃っていました。水や栄養分のまわりも良好なようで、それぞれの樹に元気があふれているのが印象的でした。
私が訪れた時期が乾季だったにもかかわらず、山肌に剥き出しになった岩盤からは、水がわき出ていました。たとえ少量にしても、乾季に水が湧き出るということは、イエメンの他の地方では大変珍しいことです。ヒラーラではコーヒーにとって、最も大切な「水の確保」が、1年中約束されていて、毎年安定した良質のコーヒー豆が収穫できるのでしょう。
ブクランは、この地域だけでバニー・マタル地方の約40%のコーヒー豆を産出する一大生産地です。ワディー沿いに手入れの行き届いたコーヒー畑が数キロに渡り続いています。標高は、ハイダル・ジャルクやヒラーラに比べて、それほど高くはないのですが、夜には夜露が降りるくらい冷えます。

バニー・マタル3地域のコーヒーバニー・マタル3地域のコーヒー写真左:バニー・マタル地方の約40%のコーヒー豆を産出するブクランのコーヒー畑。昼夜の温度差の激しさが、良質なコーヒー豆を生み出す。
バニー・マタル3地域の中でも豆の特徴が異なる
実は私は、97年にバニー・マタル3地域のコーヒーをサンプリングする機械がありました。試してみて初めて気づいたのですが、驚くことに、この3地域のコーヒーは微妙に豆の形や色、味、香りなどが違っていたのです。
なるほど・・・。「バニー・マタル」という商標名がついたコーヒー豆が、年ごとに、さらには、ロットどとに、味や香り、形が異なっている理由がわかりました。これは、かねてから、私が疑問に感じていたことだったのです。
現在、日本で販売されているバニー・マタルは、3地域の中の地域の豆に限定して出荷される訳ではなく、地域によって、気候や収穫の時期が異なるため、作柄に応じて「バニー・マタル」と明記された袋に、順次詰めてゆくからなのです。つまり、ロットによって、ヒラーラだったり、ブクランだったり、ハイダル・ジャルクだったり、ということが起こるわけです。さらに極端にいうと、同じ年の同一のロットの「バニー・マタル」であっても、袋ごとに多少の違いが出る可能性もあるということなのです。
どちらにしても、バニー・マタル産のコーヒーは、世界でも有数な優良コーヒーであることは間違いないのですから、それほどの問題ではないのですが、近い将来、バニー・マタルの3地域の豆が、それぞれ指定買いできるようになると楽しいでしょうね。現にサウジアラビアは、ヒラーラの豆を指定して買っているという話を聞いています。
ちなみに現在、11月から1月にかけて収穫されたバニー・マタルのコーヒー豆は、ホデイダの港より輸出され、4月か5月に日本に到着してきています。
バニー・マタル3地域のコーヒーバニー・マタル3地域のコーヒー写真左:ブクラン内を貫いているワディー(涸れ川)。ワディーに沿うようにして、手入れの行き届いたコーヒー畑が数キロに渡り続いている。

「岩陰の村」と「雲上の楽園」
岩だらけの中に、突然サイヒの村が現れた!

岩陰の村”と“雲上の楽園 サイヒのコーヒーは、登録商標名では「クラシック・モカ」と呼ばれます。サイヒは、首都サナアより北西約60km、イエメンの最高峰ナービー・シュワイプ山より北方の山の標高1800mに位置しています。
険しい場所にあるこの村へ向かう道は、途中から岩だらけのクネクネ道になりました。私の乗っていた4WDの車は、時速5kmしか出せず、2,3時間も走り続けなければなりませんでした。
とにかく村へ向かう道すがら、見渡す限り岩ばかりで、「果たしてこんなところでコーヒーができるのか」と疑っていました。まるで、「イエメンのグランドキャニオン」です。ライオンが正座しているような岩山を横目に通過すると、突然緑が豊かな村サイヒがあらわれます。ワディー(涸れ川)沿いに、コーヒーの木が少量栽培されていました。
まず驚いたのは、化石質な土壌です。転がっている石には、貝殻などの化石がきっしりと詰まっていて、昔、この辺りが海の中であったことがうかがえました。ついコーヒーのことを忘れて、化石集めに没頭してしまうほどの化石の宝庫でした。
真っ黒な岩壁の間からは水が流れだし、川を作っていました。訪れたのが1月で、乾季だったにもかかわらず、水は豊かに流れ出し、伏流水の小川にはアオミドロがいっぱいに繁殖し、古い木は見かけませんでした。数十本単位の小さな畑が、川に沿って連なっていました。この村だけでは、それほど多くの収穫量は期待できません。おそらく、ほかのいくつかの村の豆とまとめることで、量を確保しているようです。収穫期は11月から1月です。
サイヒのコーヒー豆は、イエメン・コーヒーにしては、比較的粒が大きめで丸みを帯びています。ニュー・クロップはみずみずしく、手に持った感触は柔らかな脂肪感があります。香りはバニー・マタル地方のコーヒー豆ほど強くはないが、やはりスパイシーさを持っています。味は、甘みが強く、滑らかで柔らかく、コクがあります。特にエキスにすると伸びがあって、とても深い味わいのコーヒーになります。サイヒのコーヒーは、水が豊かなせいか、毎年、比較的安定した粒、味のコーヒー豆が輸入されています。
写真上:ナービー・シュワイブ山より北方の山の標高1800mにあるサイヒ。化石の宝庫で、かつて海の中であったことがうかがわれる。
「雲上の楽園」バニー・イスマイルに絶句する
首都サナアから西に約80kmの所に、マナハ村があります。この辺は、ハラス地方などもあり、コーヒーの生産地として有名なところです。マナハにはこの辺り一帯のコーヒー集荷所があります。バニー・マタルも一部持ってくるそうです。すぐ近くには、収穫豆を脱穀する精製所があり、豆(種)とギシルは国内消費用として取引されています。
ここで見つけたのが、バニー・イスマイル産のコーヒー豆でした。当然、イエメンではバニー・マタル産のコーヒー豆が一番高く取引されていると思っていましたので、バニー・マタルより良質で高い豆があると聞いて驚きました。私自身は、都合により、この年に訪れることはできませんでしたが、翌年の98年に初めて訪れることができました。
マナハより北西に十数km行くと、バニー・イスマイル山はあります。イエメンの産地のほとんどは、谷間に降りていったものでしたが、この地は山の頂上に向かって上がっていきます。かなりの急勾配な岩だらけの道を4WDの来るまで上がっていくのですが、途中から車ではとてもあがりきれず、車をあきらめて歩くこと、約30分。雲を突き抜けるような感覚で、標高2200mの山頂に到着すると、眼前いっぱいに黒くて肥沃な土壌が広がります。山頂を中心にして、東西南の斜面にそれぞれ段々畑があり、コーヒーの木や他の農作物がきれいに並べられていました。まさに「雲上の楽園」といったところです。眼下から吹き抜ける風は、まるでクーラーのようにひんやりとしていて、不思議にどの方向の斜面からも山頂に向かって風が吹いているのです。
3会のイエメン渡航で、ほとんどの山地を見回し、それぞれに感動を覚えたものでしたが、このバニー・イスマイルは別格で、どんなことばでも表せられないほど感動しました。この時の感動は、今でもずっと脳裏に焼きついています。私は、手にしていたビデオカメラを夢中で回していましたが、帰国して再生してみると、「すごいです、すばらしいです」の歓喜の声しか録音されていなかったほどです。
反対側の斜面の段々畑にも、コーヒーノ木が数十本単位で植えられていました。この斜面も、麓より山頂に向かって、風と雲(霧)が吹き上げていました。こんな肌寒い高地で、霜も降りずにコーヒーが栽培されていることに感心するやら、びっくりするやら・・・。
写真上左:岩だらけのクネクネ道を行くと、突然現れるサイヒの村。まるで、“イエメングランドキャニオン”だ。写真左の手前右にコーヒー畑が見える。
写真上右:“雲上の楽園”を思わせるバニー・イスマイル地方のコーヒー畑。段々畑には、数十本単位で、コーヒーの木が整然と並べられている。
バニー・イスマイルの質の良さの秘密を実感
バニー・イスマイルには、優良なコーヒーができる様々な条件、地(土壌)、風(空気)、天(水)、心(人)が世界最高のレベルで揃っているといえます。イエメン・コーヒーの中で、「バニー・マタル」にも増して、一番評価が高かった理由が、この地を実際に訪れてみて、初めてわかりました。コーヒーだけはなく、ここで栽培される野菜や穀物なども、きっとおいしいものができるのでしょう。ここでのコーヒー豆の収穫期は12月から2月です。
バニー・イスマイルのコーヒー豆は、標高の高い所に育つため、小粒で丸みを帯び、実がよくしまっています。手に持つと厚みがあり、弾力があります。バニー・マタルほどゴールデン・ビーンズは多く含まれていませんが、コーヒーを抽出してエキスにすると甘みが強く、滑らかでピリッとしたスパイシーな味わいがあります。
香りはシナモン、ナツメグ、カルダモン、若草などいろいろなスパイスの香りを強く持っています。このコーヒーの一番のキャラクターは、なんといっても、この香りにあるといえるでしょう。
バニー・イスマイルのコーヒー豆は、今までサウジアラビアが独占的に買い占めていて、それ以外の国には一切輸出されていませんでした。案内してくれたイエメンのコーヒー商社K社に頼んで、なんとか40俵(1表60kg)だけ分けていただき、97年に日本に初輸入され、とても高い評価を受けました。名前は、この地を案内してくれたK社の御曹司イブラヒムさんにちなんで、「イブラヒム・モカ」と銘々しました。イエメンの最高級の限定コーヒー豆を輸入できたことは、歴史的な快挙といえるできごとでした。
“豆は毎年、ほぼ安定した品質を保っていますが、98年には「去年と味が違う」といった声が聞こえました。しかし、これは豆の入荷時期が前の年と半年も違ったことが原因(97年は10月、98年は5月)で、豆の鮮度や水分量が97年と違っていたためだと私は思っています。実は、私の経験ですと、イブラヒム・モカは少しの期間(6~12月位)ストック・エイジングした方が、かえって味や香りが良くなるように感じています。
写真上右:正面がバニー・イスマイル山。ほとんどの産地が谷間にあったのに比べ、この地は頂上に向かって上がっていく。

イエメンのコーヒー栽培
写真右:一粒一粒手作業で摘まれたコーヒーの実は、そのまま家の屋上や乾燥所で1、2週間天日乾燥される。
伝統農法がイエメン・コーヒーを支えている
1年に2回ずつ雨季と乾季があるので、基本的に年2回収穫できますが、後半の収穫期(11月~1月)が質においても量においても中心になっています。収穫方法や精製工程は、どこの地域もほとんど同じで、昔から一貫した伝統的な方法で行われています。実は、これがイエメン・コーヒーの優秀な香味を作り出すポイントだと私は思っています。
収穫は、真っ赤に熟した実だけを、一粒一粒人の手によって摘み取ります。3~5mにもなる樹では、ハシゴを使って収穫しています。人による作業がしやすいように、ある程度年数が来るとカットバックや植え替えなどをして、コーヒーの樹高を調整する産地がほとんどです。
イエメンでは、すべてアンウォッシュド・コーヒー(非水洗い式)なので、収穫したコーヒーの実は、そのまま家の屋上や乾燥所で1,2週間乾燥させます。雨季と乾季がはっきりしており、乾燥期に雨が降ることはほとんどありませんが、時として雨が降る場合や、夜露が降りそうな夜は家の中で乾燥を行います。
こうして乾燥が終わったコーヒーの実は、自家消費用は「実」のまま保管し、使う時ごとに、手動の石臼か木の臼で脱穀して、コーヒー生豆と皮殻(果肉)に分け、どちらもコーヒーとして飲んでいます。
自家消費用以外のコーヒーの実は、それぞれの地域にいる仲買人に直接売るか、その地域の集荷所に持って行き、取引するかです。どちらにしても、必ず仲買人を経由して商社に渡ります。なぜならイエメンは、部族社会ゆえ、他人(他の部族)が、勝手に他の部族地域に入り込み、ましてや大事な収入源を横取りするのは、とても危険が伴ってできないことなのです。
各地の集荷所では、「コーヒーの実」を取り引きする場合と、隣接する脱穀所で「コーヒー生豆」と「皮殻」に分け、それぞれ別々に取引する場合があります。
大きな商社は、独自に脱穀所と精製所を数カ所に持っていますので、ほとんどの場合、「コーヒーの実」を買いつけます。それを、電動式石臼脱穀機を使って、「コーヒー生豆」と「皮殻」に分けます。コーヒー生豆は、人海戦術によるハンドピックで、クズ豆やゴミなどを取り除き、60kgの麻袋に詰め、皮殻は、国内消費用として別の麻袋に詰めて、産地別に倉庫に保管し、注文ごとに出荷しています。
写真上:電動式石臼脱穀機で、コーヒーの実を、生豆と皮穀(ギシル)に分ける。良質なギシルにするため、熱が発生しにくい石臼歯を使用。
「ブン」と「ギシル」の2種類のコーヒー
ギシル・コーヒーの作り方は、地方や家庭によって、加える香料の種類が異なりますが、非常に簡単です。まず、水を入れたイエメン式ポットに、焙煎したギシル(皮殻)、ジンジャー、カルダモン、チョウジ、ナツメグなどの香料を加えます。砂糖をたっぷり入れ、火にかけて煮出す。茶こしで漉しながらガラスのコップなどに注いでできあがりです。
高地にあるイエメンは、夜間は急激に冷え込みます。冷えきった朝に、体を温める一杯として、よく飲まれるようです。味はとてもスパイシーですが、ブンとはまったく違った味と香りで、何杯でも飲め、体が暖まるさわやかな飲み物です。
写真左:首都サナア、写真右はマナハのコーヒー出荷所。部族社会のイエメンでは、必ず仲買人を経由して、コーヒー豆の取引が行われている。
現在、世界でギシル・コーヒーを飲んでいるのは、イエメンとエチオピアの一部地域(主にイスラム教地区)とブラジルのアマゾン地方(コーヒーに混ぜ、増量材として使用)の一部の人々に限られています。
コーヒーの本でイエメンの「ギシル・コーヒー」を調べてみると、「イエメンでは、コーヒー豆は外貨獲得の重要な輸出品のため、国内ではしかたなしにコーヒーの殻を使った、ギシルというコーヒーを飲んでいる。とかかれています。
しかし、私が三度のイエメン訪問で強く感じたことは、「イエメンの人々はブンよりもギシルを好んで飲んでいる」ということなのです。
首都サナアの喫茶店(マクハ)でも、ブンよりギシルの方がよく飲まれていましたし、町のスーク(市場)でも、ギシルの方がメインで売られていて、コーヒー豆は売り場の片隅に少し置いてあるか、時には置いていないこともあったくらいでした。価格はどちらもほぼ同じか、物によってはギシルの方が高いこともあったので、安いからギシルを飲んでいるのではなく、やはり好んで飲んでいると考えるのが妥当でしょう。
写真左:脱穀を煮出して作るギシル・コーヒー。イエメンの人々は、ブンよりギシルを好んで飲む。
良質なギシル(皮殻)は、どうやって作るのか
ここで注目質のが、イエメンでは必ず石臼歯の脱穀機を使うということです。石臼歯は、コーヒー豆が欠け豆になりやすいし、コーヒーの生豆に石臼歯の破片(イエメン・コーヒーの生豆に時々白い石が入っている)が混入したりします。ヨーロッパ製の鉄製の硬質歯を使った、欠け豆になりにくい高性能な脱穀機がいくらでもあるのに…。なぜか「石臼歯」なのです。
実は、高速回転の金属の刃では、熱が発生しやすく、ギシルが粉々になってしまって、美味しくて良質なギシルにはならないのです。そのため、低速回転で熱が発生しにくい石臼を使います。石臼は、良質なギシルを作るのに重要な役割を果たしているのです。
これらの精製工程を見ると、いかがですか?
そうです、イエメンの人々は、良質なギシル(皮殻)を作るために、伝統的な栽培、収穫、精製方法などを継承し続け、その結果、世界でも類稀な良質なコーヒー豆を産出していたということだったのです。
イエメン・コーヒー豆の「謎」を解く「鍵」は、このギシルに隠されていました。近年、イエメンでは紅茶がよく飲まれていますが、将来、ギシル・コーヒーに取って代わることのないように願っています。イエメンの人々がギシル・コーヒーを飲み続ける限り、イエメン・コーヒーの豆は、そのスパイシーな芳香と秀逸な味をいつまでも保証してくれるからなのです。

写真上:市場でも、ギシルをメインに売る。良質なギシルを作るために、コーヒーを栽培するのだ。

カート文化の大きさ

写真上:マナハの近くにある、有名な村“ハジャラ”。イエメンでは、山や丘の頂上に家を建てるのが一般的で、部族社会の強さがよく分かる。
イエメン・コーヒーの生産量が増えない理由
イエメン・コーヒーの生産量は、毎年、減少の一途でしたが、ここ数年は、海外(主にヨーロッパ)からの経済開発支援により、コーヒー栽培が復活の兆しを見せています。それでも、まだまだ微増に過ぎません。
イエメン・コーヒーの生産量がなかなか増えない理由としては、前にも書いたように、若者が海外に出稼ぎに行ってしまうための労働力不足や、コーヒーの栽培に適した産地のほとんどが険しい山岳地帯にあるため、大量生産ができにくいことなどが挙げられます。
様々な原因が考えられますが、やはりイエメン人に欠かせない「カート」の存在が、大きな影響を持っていると言えます。
イエメンでは、コーヒー豆が外貨獲得の重要な産業として位置づけられ、政府もコーヒーの栽培を奨励しています。険しい山岳地帯につくられたイエメンのコーヒー栽培地では、機械化が出来ず、手摘みで豆を収穫するなど、伝統的な栽培方法が行われています。生産量を上げるためには、何とかして栽培地を拡大するしかないのです。
しかし、実際にはコーヒーの栽培地は、カートの栽培適地と共通していて、カートの問題がコーヒー量産の足かせになっています。
毎日の生活に欠かすことの出来ないカート
カート畑を見ると、畑の周りを鉄条網で厳重に囲っています。もし他部族の者が勝手に入り込んだりすれば、撃ち殺されてしまうのは確実です。時には、畑の権利をめぐり激しい争いが起こることもあるようです。
では、これほどまでにイエメンの人々を虜にする「カート」とは、一体どんなものなのでしょうか?
日本の緑茶の葉ににているカートは、アカネ科の植物で、麻酔性を持っています。イエメンをはじめ、アフリカの東部やエチオピア、ソマリア、ジブチなどのイスラム教圏で主に栽培され、普及しています。
カートは、各地にもうけられたスーク(市場)で売られています。値段は、カートの質によって、かなりばらつきがありますが、平均的なイエメン人が一日に稼ぐ給料の半分ぐらいといわれています。まさしく、カートをたのしむためにイエメン人は働いているといっても、過言ではありません。
イエメンでは、一日の仕事が終わると仲の良い友達が、それぞれにカートを一束ずつ持って集まり、何時間もかけて世間話やおしゃべりをしながら、カート・パーティーを楽しみます。カートの若葉や新芽だけを何百枚と噛み、葉からでるエキスだけを、水やコーラと一緒に飲み込みます。ほっぺたがふくれるほど、大量の葉っぱを噛みためていくのです。
カート・パーティーは、ほとんど毎日のように行われていますが、金曜日(イエメンでは休日)には、特に盛んに行われます。イスラム教では、アルコールを飲むことが禁じられているために、このカート・パーティーは、我々日本人が仕事帰りに、仲間と「ちょっと一杯」といった行為と同じ感覚で、人間関係の潤滑油の役割を果たしていると思っていただくと分かりやすいと思います。
写真上左:その日の仕事が終わると、毎日のようにカート・パーティーが行われる。特に、金曜日には盛んに行われている。
写真上右:カート。イエメンだけでなく、アフリカの東部やエチオピア、ソマリアのイスラム教圏で主に栽培され、普及している。
カートをかめることが大人になった証になる
とにかく、やたら喉が渇くので、水やコーラは大量に必要です。水分の接種と共に、利尿作用もあるので、何度もトイレに行かなければなりません。私自身も何度か試しましたが、大量に噛んだときなどは、頭が冴えきってしまって、なかなか寝つくことができませんでした。
こうして書くととても危険なもののように思われますが、習慣性はあっても、常用性や中毒性はないので、麻薬やマリファナなどとは根本的に違うようです。
国の重要な会議も、カートを噛みながら行われると言われているくらいで、イエメンにおいてカート・パーティーは、貴重なコミュニケーションや情報交換の場所なのです。また、イエメン人がカートの週間を始めるのは、14~16歳からで、自分の出稼ぎでカートを購入します。成人男性の80%がカートを楽しんでおり、労働者として1人前になったという、大人の証でもあるようです。一説には、コーヒーの飲用よりも、歴史が古いといわれていて、イエメン人の生活に深く根付いているのです。
生活習慣の面からも、イエメンではカート栽培が重要で、なかなか簡単には、コーヒー豆の生産量を増やすという訳にはいかないようです。日本にはまったくなじみのない「カート」という文化的な背景が、イエメン・コーヒーの生産にも深く関わっていることがわかっていただけたと思います。
写真上:カートの若葉や新芽だけを何百枚と噛み、エキスだけを水やコーラと一緒に飲み込む。ほっぺたがふくれるほど、大量に口に含みます。

エチオピアとの共通点
コーヒーの樹発祥の国 エチオピアを訪れる旅

私は、今年(2000年)の1月3日から18日まで、コーヒー原産地の視察と豆の買い付けのため、エチオピアに行って参りました。エチオピアで最も古いといわれるコーヒーの樹が残る「バハルダール地区」にあるタナ湖周辺のコーヒーの村、北部のコーヒー量産地「レケムティー(ワレガ)地区、名品ハイランド・ハラールを産出する「ハラール(ディレダワ)地区」など、エチオピア国内の約3000kmを移動し、視察してきました。
エチオピアは、キリスト教(エチオピア正教)が国教になっていますが、イスラム教徒が全体の40%も占め、さらに70の部族よりなる複雑な部族国家なので、国全体がなかなかまとまりにくく、絶えずどこかで紛争が起こっている状態です。
エチオピア連邦民主共和国の国土面積は、110万4300平方キロメートル、6015万人(1997年)の人口を抱えています。コーヒー豆は、外貨獲得の70%を占め、エチオピアの最も重要な換金・輸出作物になっています。1992年に推定された生産量では、アフリカ大陸第2位にあたる21万6000トンにのぼり、そのうち約3万6000トンのコーヒー豆が輸出されています。
エチオピアは、世界のコーヒー生産量の5%を占めるといわれるコーヒー大国ですが、「プランテーション・コーヒー」として栽培される豆は、国内生産量のわずか5%にすぎません。ほとんどは、「ガーテンコーヒー」や「フォレスト・コーヒー」「セミ・フォレスト・コーヒー」として、有機肥料で栽培されるナチュラルコーヒーです。果てしなく広がる肥沃な土地は、いまだ手つかずの状態で、いわば“未開の大地”といったところです。
写真上:ハラール地方のハラワチャ村にあるコーヒー集荷所の風景。この地方は、気候や風土、習慣など、イエメンとよく似たところが多い。
気候や風土がイエメンによく似た、ハラール
コーヒーの栽培適地とカートの栽培適地が重なるため、コーヒー畑をカート畑の転作してしまう、という問題がイエメンにはありました。一瞬、「エチオピア・コーヒーもカートに取って代わってしまうのでは?」と心配になりましたが、イエメンとは少し事情が異なり、カートの栽培地とコーヒーの栽培地とが画然と分けられていましたので、当面、カートの影響によってコーヒー豆が減産される心配はないように思いました。

写真上:ハラール地方・ベデノ村のコーヒー農園。大量生産はできないが、伝統的な農法のもと、質の高い豆を栽培している。
是非、アンウォッシュド・コーヒーの見直しを
しかし、現在では、エチオピアが原産地であるという説が主流を占めています。私にとっては、どちらが原産地であるかは、それほど興味のないことですが、エチオピアのナチュラル・アンウォッシュド・コーヒーとイエメン・コーヒーの数多い共通点には、とても興味を抱いています。
いま、世界では中南米などの、豆面がきれいで不純物の少ないウォッシュド(水洗い式)・コーヒーが主流を占めています。
しかし、一部のコーヒー・ファンは、もう気が付きはじめているのではないでしょうか?
量を目的にした品種改良(?)と共に、無個性になってきたウォッシュド・コーヒーより、そういった品種改良をせず化学肥料も使わない、イエメンやエチオピア・ハラールのアンウォッシュド・ナチュラルの「モカ・コーヒー」の個性的で豊かな味わいと、スパイシーな香りこそが、本来のコーヒーが持っている魅力だということに・・・。
日本に出回っている、アンウォッシュドのコーヒー豆は、香りを嗅いだ瞬間に嫌な発酵臭がする粗悪な豆も多くあり、今まで誤解されていました。しかし、近年、発酵臭のない、「モカ」本来のスパイシーな香りと豊かな味を持った上質な豆が手に入るようになり、少しずつアンウォッシュド・コーヒーに対する誤解も溶けてきたように思います。
写真上:エチオピア・ディレダワ地区にあるコーヒーの精選所。有機肥料で育てられたナチュラル・コーヒーを手作業で選別して出荷する。
“エチオピア”と“イエメン”2つの「モカ・コーヒー」
先日、私がエチオピア・ハラールの優良豆を仕入れて来たことを、ある大手ロースターの方が聞きつけて、「私どものエチオピア・モカも一度飲んでみてください」と、炒り豆を持って来ました。封を開けると、クズ豆、発酵豆、死豆などが20%ほどもあり愕然としました。
私が、大手ロースターの「モカ・コーヒー」のクズ豆などの多さに呆れて、自家焙煎を思い立ったのが、18年前でした。その当時と全く変わらない状況を目の当たりにして、やはり良いものは、手間がかかり、大量生産するには難しいことを改めて思いました。
モカ・コーヒーは、良質なものでも、ナチュラルゆえに、豆面もなかなか揃わず、クズ豆などもウォッシュド・コーヒーよりは手間が多くかかります。そのような理由で、モカ・コーヒーを使わない自家焙煎店は、販売量が少ないゆえに、大手ロースターにはできない、手間と愛情を込めた稀少価値の高い上質なコーヒーを作ることができ、それを最大のキャラクターにできるのです。
私は、手間がかかる「モカ・コーヒー」こそが、自家焙煎店の救世主となり得ると思います。「少量であること」の大切さ、「変わらないこと」のすばらしさを、イエメン、エチオピア、2つの「モカ・コーヒー」が私たちに教えてくれているように思います。
イエメン珈琲 PhotoAlbum
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マナハにある、ハジャラ村。イエメンでは山頂に家をつくる。
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イブラヒム・モカを産出するバニー・イスマイルのコーヒー段々畑。
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ナツメヤシの木に守られた、コーヒーの樹。イエメンでは、全てがナチュラルコーヒーです。
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各地でとれた、コーヒー豆の収荷所。マナハ。
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サナアの町の建物。
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脱穀は全て石臼で行われています。
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コーヒーの皮穀でつくられるイエメン独特のギシル・コーヒー。
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紅海沿岸にあるモカの港町。18世紀までここよりヨーロッパにコーヒー豆が輸出されていたが、今は廃港になっています。