コーヒーを淹れるキム・ホノさん
いつもありがとうございます。コロナ感染拡大が止まりません。
特に私たち飲食店をしている者にとっては、様々なリスクの中でとても大変な毎日を過ごしています。一体いつまで続くやら・・・・・??
今回は私の大好きな瀬戸市在住の陶芸作家キム・ホノさんの本が2冊出ましたので、ご紹介したいと思います。一冊は「LOVE FOR・・KIM HONO-YA」・・ギャラリー水犀発行で、もう一冊は 自由空間発行の「夢見るように作りたい・・ キムホノの仕事1986-2021」です。
①「LOVE FOR KIM HONO-YA」(ギャラリー水犀発行)
②「夢見るように作りたい。」(自由空間発行)…大坊さんからのプレゼント!
自由空間発行の「夢見るように作りたい。 キムホノの仕事1986-2021」作品集は、大坊勝次(前・大坊珈琲店店主)氏が企画・監修しています。
「夢見るように作りたい」という素敵なタイトルの名付け親は誰かとは伺っていませんが、まさしくこれは大坊さんが付けたタイトルだと私は思っています。なぜなら、大坊さんが東京・南青山の大坊珈琲店で当時作っていた珈琲も、夢見るようなコーヒーで、夢見るように作っていたと思っているからなのです。
キム・ホノさんは、大坊さんのコーヒーのファンで、大坊さんはキム・ホノさんの作品のファンだったので、作るものは違っていても、キムさんに、キムさんの作品に、自分自身を重ね合わせているのでは?と思います。本は、手軽に見られるようにと、ほぼB4サイズになっています。余分な説明は一切なく、「よくこれだけ集めたものだ!!」というくらいにたくさんの作品がページを彩っています。
また、大坊さんの書した「あとがき」も余分なことは一切書かれていません。
(文中より)・・・キム・ホノは常に新しいものを作り出す表現者である。よって新作を記録していきたい気持ちは強くある。しかし今までもずっと新作であったのだ。ここまでの記録を残すことも意義があると思います。・・・(大坊勝次)
見事にこの短い文の中に、キムさんの過去、現在、未来など、素晴らしい足跡(これからも含め)が凝縮して詰まっています。
多くの作品集は、企画者の意図が所々に感じすぎるものが多く、作品に向かう自分自身の感性を邪魔することが多いのですが、この本は見る方の感性を最優先していて、「これがキム・ホノです。どんなふうでも構いませんので、それぞれが勝手に何かを感じてください!」と言っているようです。
しかし、同時に見る側の「資質」も問われているのでしょうね。
さすがに大坊さんです!
※「夢見るように作りたい。」の取扱店は、「自由空間」のホームページにて検索してください。 http://www.jiyukukan.net
「夢見るように作りたい。」から抜粋
自家焙煎珈琲屋も一杯のカップの中に、すべての思いを込めてお飲みいただくのですが、美味しいか?不味いか?砂糖を入れてもミルクを入れても、どのように飲むかは飲む側にゆだねられるので、その日の都合でその日の感性で自由にお飲みいただければいいのです。コーヒーは前にも書いたように嗜好品の飲み物です。人それぞれ「美味しい」の基準が違うのですから。提供するにあたってくどくどとした説明は無用なのです。
「当店はスマート00やプロバ00などの焙煎機を使用しています」「じっくりと時間をかけて焙煎しています」などのキャッチコピーのお店がありますが、焙煎機さえ高価であれば、じっくり焙煎さえすれば、さも美味しいコーヒーが出来上がるように錯覚させてしまいます。
それで美味しい珈琲豆が誰にでも焙煎できるなら焙煎士は苦労しませんよね?また、ネットなどで「幻のコーヒー」「希少品」などと謳った高価なコーヒーをよく見かけますが、プラセボ効果といって、本質はそれほどでもないのに、さもそれが高品質で絶対に美味しいコーヒーだと思い込ませてしまう現象だそうです。
もともと幻のコーヒーなどは、そんなには存在しませんし・・それこそ幻なのです(笑)「コーヒーに最適な名水を使って淹れているので美味しい!」などの文言もよく見かけますね。
さも、水さえよければ美味しいコーヒーが出来上がるかのように・・・。また、街中で見かける「美味しいコーヒーをご用意しています」という看板を掲げた店でも、同じようなことが言えます。
「美味しい」と言われても、美味しい不味いは飲む側が決めることですので・・・。もし、そのコーヒーが好みではなく美味しくなかったら、無料にしてくれるのでしょうか?(笑)
「新鮮なコーヒー」と言われれば、なるほどとは思うのですが・・・、お金を頂くプロの店なら新鮮は当たり前ですので、特別謳う必要もないのですが・・・(笑)
これらは一種のプラセボ効果ですが、コーヒーの味をあまり知らない方には、特にその言葉に影響を受けるようです。良質なコーヒーをたくさん飲み込んで味の判断ができる「資質」のしっかりした人にとっては、全く効果はありませんし、必要もありません。かえって、その余分なコピーや説明は邪魔になるだけなのです。
確かに今の時代、情報は世界中につながっていて、声を大にして発信した方が勝ち!なんて言われていますが、見出しだけで持っている週刊誌と同じような気がしてなりません。
珈琲屋は今自分ができる精一杯のコーヒーを、カップに詰め込んでお飲みいただくだけです。お茶会などでは一期一会の世界とよく言われますが、珈琲屋においても当てはまると思います。作り手と飲み手のその時の相互の思いが一致したときに、初めて感動が生まれるのです。
説明は要りません。ただお飲みいただき、感じていただければいいのです。長年、カウンターに立って多くの方をお迎えして、休むことなしに一期一会の自家焙煎珈琲店を40年近く続けてこられた大坊さんゆえに、説明の要らないこのような素晴らしい作品集が出来上がったのだと思います。
とにかくその作品のバラエティーさにはびっくりします。また、これらの発想が出てくるキムさんの頭のなかは、どうなっているのでしょうか?覗いてみたくなるような・・・みたくないような(笑)
当店では、キムさんの直筆イラストとサイン入り限定本をほんの数冊だけ販売しています。もちろん、店でご覧いただける本もご用意してありますので、ぜひ手に取ってご覧いただきたいと思います。
コーヒーカップ(狸のしっぽ?)
犬?
後ろ姿がたまりません
【キム・ホノさんの略歴】
1958年愛知県瀬戸市生まれ。愛知県窯業高等職業訓練校を終了後、瀬戸の窯元に勤める。1985年、27歳で初めての個展を開催、その後も国内外にて個展、グループ展を多数開催し、受賞歴も多数。現在は瀬戸市定光寺に工房を構え、30年以上変わらず独創的な作品を作り続けている。
私とキム・ホノさんとの出会いは、かれこれ25年以上前、待夢珈琲店の旧店舗時代まで遡ります。
当時、毎月何かしらの作品を展示するギャラリーを店に併設していました。ある月、お客様の紹介で瀬戸市在住の作家さんを中心に「エレガンス・カップ展」というタイトルで、手作りの陶芸家5人くらいの作品を店に飾り、即売するという展覧会を開催しました。
ほとんどが綺麗で素敵な手作りカップばかりでしたが、その中にあって、「このカップでコーヒーを飲む人がいるの?」と、とてもエレガンスとは無縁のようなカップを展示していた作家さんがいました。
それが誰であろう、金憲鎬(キム・ホノ)さんなのです。
はじめは、キム・ホノさんのカップでは、どうしてもコーヒーを飲むイメージができませんでしたので、カップとしてはあまり興味がわかなかったのですが、毎日毎日1カ月ほど観ていると、不思議なことにいろいろな使用イメージがわき、「別にコーヒーじゃなくても、一輪挿しでもいいかなぁ?お菓子入れにしてもいいかなぁ?」などなど、カップ以外のイメージがどんどん広がり、その魅力に引き込まれていきました。
結局、私はキムさんのカップを2客購入しました。
一客は私の尊敬する抽象画家さんにプレゼントして、とても喜んでいただきました。
私は、自分用に購入したカップに「狸のしっぽ」という名前を付けて、中に小さな剣山を入れて、しばらく一輪挿しとして使っていました。その後、スティックシュガーやお菓子を入れたり、自由気ままに使っていますが、そういえば、一度もコーヒーを注いで飲んだことはありませんね(笑)
でも、それがキム・ホノさんなのです。
その後、今の店の開店祝いにと、素敵なコーヒーポットを頂きました。そのポットで私は、コーヒーではなく毎年12月に出る日本酒の濁り酒を入れて楽しんでいます。
でも、それがキム・ホノさんなのです!
キム・ホノさんのオブジェの犬も購入させていただきましたが、これって犬なの?という作品で、日によって表情を変えていくのです。まるでその日の自分を映し出すかのように、ある時は歯を見せて笑っているようで、あるときは牙をむいて怒っているようで・・・、でもとても愛嬌があり、かわいいのです。
それがキム・ホノさんなのです。
昨年末に、名古屋・栄の橋本美術さんの個展で購入させていただいた狛犬?は、数ある中から造形に惚れて2体買ってきました。正面からの姿は表情や雰囲気がとてもいいです。しかし、私は後ろ姿が特に気に入っています。
人は後ろ姿にその人の人生が表れると言いますが、私は狛犬の後ろ姿に、キム・ホノさんの人生を感じています。私が立っているカウンターのケーキケースの上に飾っていますので、毎日その後ろ姿を見てほっこりとしています(笑)
それがキム・ホノさんなのです!
コーヒーポットやカップなど
コーヒーカップは他にも1客ありまして、こちらは一見奇抜なようですが、持ってみると手にしっくりきてとても持ちやすいカップなのですが、やはりこのカップにもコーヒーを注いで飲んだことがありません(笑)
私は勝手にお菓子入れにしたり、オブジェとして飾って鑑賞しています。そうして、キム・ホノさんの作品を自分流に楽しんでいますし、そうしたくなる作品なのです。
それがキム・ホノさんなのです。
聞珈杯とロイヤルコペンハーゲンのカップ
聞珈杯
当店では、コーヒーを挽いた時のフレグランスを楽しんで頂こうと、挽いたコーヒー粉を小さな陶器の筒(聞珈杯と呼んでいる)に入れてカップコーヒーと共に提供するサービスをしていました(コロナが感染拡大する前までで、今は休止しています)。
ある時、店にキム・ホノさんがお寄りくださり、「これっていいですね!作りましょうか?」と言っていただき、30個ほど制作していただきました。出来上がってきたものは、抽象的なデザインでいろいろな色で彩られていました。
とても素晴らしいのですが、当店のカップは世界の名窯と言われるトラディショナルなカップばかりなので、奇抜であでやかなデザインの現代陶芸の聞珈杯がはたしてトラディショナルなカップ達とマッチングするのかと心配しましたが、いざ合わせてみると、とてもバランスが良くベリーグッドなのです。お互いの良さを共に引き出し、共調するのです。
「芸術は時を超えるのだ!」
キム・ホノさんの作品には、時代や常識などにとらわれない無限の可能性を感じます。作り手も自由なら、こちらも自由なのだと!しかし、すべての作品にキム・ホノさんの「優しさ」を感じるのです。
それが・・キム・ホノさん、そのものなのです!!!
・・・色々と多くの説明をし過ぎてしまいましたね(笑) 悪しからず!!
私もいつの日にか、夢見るように珈琲を作れるようになりたいですね・・。
