オールドノリタケ オールドノリタケ
オールドノリタケ

オールドノリタケ

更新日:2021年10月15日
ノリタケ

明治時代のオールドノリタケ

《ノリタケの歴史》

ノリタケ(1981年に日本陶器からノリタケカンパニーリミテドに社名変更)は1904(明治37)年に設立されましたが、その始まりは江戸時代末期まで遡りますが、本格的に始動したのは、1876(明治9)年、森村市左衛門が貿易商社『森村組』を設立してからといわれています。

裏面

明治時代はノリタケの「N」ではなく、森村組の「M」の裏印が使われています。

【森村組概略】

日本を富める国にしようという森村市左衛門の思いでスタートした森村組。後にそれに共鳴して、大倉孫兵衛、大倉和親(大倉孫兵衛・大倉和親の父子は後に大倉陶園を設立する)、村井保固、広瀬実榮らが加わりました。

中核企業はノリタケカンパニーリミテド。株式の持ち合いはほとんどなく、森村銀行を吸収した三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)との関係が深い「世界最大のセラミックス企業グループ」であり、東京証券取引所一部上場企業の中で陶磁器売上高上位5社のうち1、3~5位を森村グループのTOTO、日本特殊陶業、日本ガイシ、ノリタケカンパニーリミテドの順に占める(2位のINAXも、かつては森村グループに属していた)。また「一業一社」という理念の下で独立を進めた経緯から各企業が得意分野を持ち、それぞれが衛生陶器、スパークプラグ、碍子、洋食器の各分野で売り上げが国内トップシェアである。

グループ企業は「森村十社会」という集まりを形成しており、この中には現在は存在しない会社もあるが、今も一部ではこの呼び名が使われている。TOTO、ノリタケカンパニーリミテド、日本ガイシ、日本特殊陶業、INAX、共立マテリアルの上場企業6社と、森村商事、大倉陶園、ノリタケ(2000年に吸収され、現在はノリタケテーブルウェア)、日東石膏(1985年にノリタケカンパニーリミテドが吸収)の4社、計10社で構成されていた。

オールド2

オールドノリタケのカップ

「オールドノリタケの定義」 

 
オールドノリタケとは、明治から昭和初期にかけて、現在のノリタケ・カンパニーリミテドの前進である日本陶器(森村組)がヨーロッパやアメリカに輸出した磁器物を指します。

明治の中頃(1884(明治17)年)から第2次世界大戦終結(1945(昭和20)年)までの約60年間に、森村市左衛門を創始者とする森村組(前期)と日本陶器(中・後期)が製造した磁器製品の総称。1884〜1945年までのノリタケをオールド・ノリタケと定義しているそうです。

10〜50年前など少し古いノリタケはオールド・ノリタケとは呼びません。オールドノリタケの製品群は、工業的に優れた技術力と伝統的な感性、テクニックが融合した芸術作品として高い評価を受け、現在では骨董愛好家から『オールドノリタケ』とよばれコレクターズアイテムとして人気です。

ノリタケ3

オールドノリタケ(マット釉の夕ボカシ)

金3
優に

オールドノリタケのランドスケープシリーズ

☆《オールドノリタケ製法いろいろ》 

                            
手作りで作られた、世界でも最高級品質の「オールドノリタケ」
高度な技術を要していろいろなバリエーションの磁器製品の数々を製作していました。
その技術の高さはアメリカやヨーロッパでは当時、芸術品として認められていました。第二次世界大戦名古屋空爆の時に、「ノリタケ」の工場があった則武町周辺は空爆されなかったといわれています。なぜなら、当時アメリカでノリタケは、すでに「文化的芸術品」として認められて有名だったために、それを破壊することは文化芸術の多大なる損失と考えられていたからなのです。

これに似た話に、やはり第二次世界大戦当時、岡山の倉敷には倉敷紡績(クラボウ)の大原孫三郎が創設して、世界の名画を収集していた「大原美術館」があったために、倉敷街中には空爆がなかったともいわれています。もちろん京都や奈良などの文化遺産も同じだったのです。本来戦争には、「世界的な文化を守る」という国際ルールがあったのです。

では、その技術の数々をご紹介いたします。
※詳しい映像はオールドノリタケの技法 – アンティークテーブルウェア (antique-tableware.com) をご参照ください。

(1)盛り上げ
(2) イッチン盛り 
(3) 金盛り
(4) 石膏型による技法(モールド)
(5) エッチング 
(6) タピストリー
(7) エナメル盛り
(8) ビーディング
(9) 転写技法 
(10)「ポートレート」
(11) ラスター彩
(12) ウエッジウッドスタイル 
(13) コバルト
(14) 銀彩 
(15) 吹きぼかし 
(16) ボーンチャイナ
 他、などなど・・・・実に様々な技術とスタイルの磁器を開発してきました。
これほど多くのパターンを持っているのは、世界でも唯一ノリタケだけなのです。
世界に誇るべき日本の伝統芸術、文化といえるでしょう!

ポット裏

困難の「困」という字と槍の絵柄がデザインされている裏印

ピンク

ヤジロベーがデザインされている裏印

☆《オールドノリタケの裏印》

◎ 裏印の中には、各時代によって変わって いったものや、時代とは関係なく長期間使用された裏印があります。
前期製品群(森村組時代)・・・1885~1903年
中期製品群(日本陶器時代前期)・・・1904~1921年
後期製品群(日本陶器時代後期)・・・1922~1945年
が概略です。

また、裏印には時代時代にそれぞれの思いが込められていたそうです。
面白い話としては、・・・。

例えば、1910年頃から英国向けに使われ、裏印は困難の「困」という字と槍の絵柄がデザインされています。「英国でいろいろな困難に出会っても、槍で一刺しして困難を切り抜ける」という思いが込められていたそうです。

また、1911~1940年頃、国内向けに使われた裏印には、ヤジロベーがデザインされています。これには、「ヤジロベーのように安定経営ができるように」という思いが込められていたそうです。裏印から、いつの時代も、会社を維持して繫栄する事は大変だという事が見て取れますね。

「大倉陶園」

大倉陶園のカップ達

大倉陶園のカップ達

大倉陶園 (おおくらとうえん, OKURA CHINA, INC.)は、横浜市戸塚区に本社を置く日本の陶磁器メーカーである。親会社のノリタケカンパニーリミテドらとともに森村グループの一員で、ノリタケカンパニーリミテドの設立者の1人でもある大倉孫兵衛と和親の父子により1919(大正8)年に東京の蒲田に興され、以来90年以上の間、創立者 大倉孫兵衛の遺訓に従い『良きが上にも良きものを』を理念に英国の骨粉焼(ボーンチャイナ)、フランスのセーブル、イタリアのジノリなど、ヨーロッパの磁器に勝る品を作りたい、と一貫して美術性の高い洋食器と磁器を生産し、独自の傑出した技術を築き上げてきました。
大倉陶園の理念は現在も受け継がれ、その製品は日本国迎賓館の食器や宮内庁御用達の品々、各国元首へのご贈答品などを委託される日本のトップメーカーなのです。今では、日本国内のみならず世界各国の一流ホテルやレストランをはじめ各方面で幅広く使われています。特に、大倉陶園の生地の白さは特筆で《セーブルのブルー、大倉のホワイト》と評されています。

私は開店当時から大倉のカップをたくさん収集しています。今では貴重な金バラや金葡萄柄のカップやカラフルなモーニングカップ等、いろいろな色やデザインのカップ、花瓶など、高価でしたが買い続けました。
大倉のカップは一度手にするだけで、他のカップとは違う、質や品格、デザインの良さ、白くて透明感のある生地、その完成度の高さに魅せられます。また、カップだけが割れた場合にはカップだけ、ソーサが割れた場合でもソーサだけを特注で作ってくれるのです。よって、何代にもわたって収集して使い続けることができます。皆さんにもマイカップとして、是非一客所有して欲しいです。

近々

オールドノリタケ(明治)

何回にも渡り、世界のコーヒーカップのお話をしてきましたが、陶磁器の世界では日本が先駆者であったという事がご理解いただけたと思います。特に、明治から海外向けに輸出した「オールドノリタケ」といわれる手作りの磁器製品は、当時の素晴らしい職工の技術が見て取れます。まさしく世界NO1の技術だったのです。日本では、大正デモクラシーを経て昭和を経過して大量生産大量消費の時代となり、手書きなどの職工の技術がだんだんと薄れていきました。

しかし、日本の伝統の手書き技術をヨーロッパの名窯は何百年と継続して作り続けて進化させてきました。物があふれてきた現代において、日本でも世界でも、多くの方が伝統的で高品質で温かみのある手作り陶磁器のカップに興味と関心を示し、ロングセラーとして売れ続けています。日本でも明治の職工の技術をそのまま伝承、継承していたら、世界の陶磁器業界を席巻していたのでは、と私は思っていますが・・・・・、残念でなりません。

今、世界には本当に様々なカップがあります。
美味しいコーヒーを飲むにはカップはかかせません。
コーヒーとカップは切っても切れない関係なのです。

前にもお話したように、主役(コーヒー)と脇役(カップ)の関係なのです。主役だけが良くても名作になりませんし、逆に脇役が主役より良いのも困りますね。分かりやすく言うと、カップオブエキセレンス(COE)の品評会で入賞した素晴らしい豆で淹れたコーヒーを、欠けた湯飲み茶わんや、紙コップで飲んでもなんともバランスが悪いですよね。また逆に、ロイヤルコペンハーゲンのカップに缶コーヒーを注いでもなんとも言えずバランスが悪いですね。カップと注ぎ入れるコーヒーにはバランスがとても大切だと思います。

私が珈琲屋を始めたころは、名古屋のデパートまで出かけて、数少ないカップの中から気に入ったカップを少しずつ(高価であったこともあり)買い求めました。それぞれのカップには想いがあり、すべてのカップは、「どこでどんな気持ちで買ったのか」を、全部覚えています。

一客一客のすべてに愛着のあるカップばかりなのです。
しかし、今は昔と違い、世界中のカップが自宅に居ながらにして購入、収集できるとても便利な時代になりましたが、以前のようにカップを購入するときの感動も薄れたような気がします。
いずれにしても、コーヒーとカップの関係を理解していれば、自分流にいろいろなコーヒーをいろいろなコーヒーカップで楽しんでいただきたいと思います。

良いコーヒーと良いカップ、共にあるコーヒータイム!

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