ヨハン・ゼバスティアン・バッハ( 1685年3月31日生まれ)
いつもありがとうございます。
珈琲店や喫茶店は飲んでいただくだけの場所ではありません。癒しの時間、くつろぎの時間などを楽しんでいただくための場所として様々な演出を施しています。入って観たくなるような外見や椅子、テーブルなど入ってからの店内の装飾にこだわりを持って、店店が個性豊かな店舗創りをしています。
特に、それぞれの店の雰囲気創りで欠かせないものに、『音楽』がありますね。店によっては、一切音楽をかけないというポリシーの方もお見えになります。また、緑豊かな自然の中で、川のせせらぎや小鳥のさえずりなどが癒しの音楽となっているとても環境の良い喫茶店などは素敵ですね。
しかし、ほとんどの店はCDなり、有線放送で音楽をかけていますね。確かに、バックグラウンドミュージック(BGM)として音楽が流れているとなんとなく落ち着きますね。それが自分の好みの音楽ならなおさらです。ジャズやクラシック、ヒーリング曲、歌謡曲、演歌などなど、お店の方の趣味が解るというのも楽しいですよね。
でも中には、ラジオがかかっていたり、とんでもない音量でかけられていたりすると、癒しというより逆にストレスがたまったりしますので、どうかなぁ?と思ってしまうのは私だけでしょうか?
ところで皆さんは、バッハの「コーヒーカンタータ」という歌曲をご存知ですか?とても楽しいカンタータで、10部構成からなっています。最後に落語のような落ちがあり笑ってしまいます。曲もとても良く一度聴いたら忘れられないですので、是非CDを購入して聴いていただきたいものです。
バッハの『コーヒーカンタータ』
※【カンタータの解説】
現在、カンタータという呼び名はほとんどの方が知っています。カンタータといえばバッハの教会カンタータといわれるくらいバッハが有名です。もともとカンタータなる言葉は、イタリアの世俗的な歌を指していました。つまり、カンツォーネ(イタリアの大衆歌曲)です。なんと恋の歌なのです。バッハ自身、その楽譜には、教会音楽または協奏曲と記しています。それがいつのまにか、意味や解説、独唱、重唱、合唱などに器楽・管弦楽の伴奏がついた大規模なカンタータ(声楽曲)となったのです。もとはソナタ(器楽曲)に対する声楽曲一般を意味しました。
彼の書いたカンタータの様式はまさにイタリアオペラのそれであり、レチタティーヴォ(訳1)とアリア(訳2)が交互に現れてくる形式をとっていて、ドイツのプロテスタント教会の音楽に、イタリアオペラを取り入れたのである
※(訳1) 「レチタティーヴォ」とは叙唱。 「歌」というよりもむしろ「朗読」のように歌われる。 オペラ、オラトリオ、受難曲、カンタータなどでみられる形式
※(訳2) 「アリア」とは詠唱と訳され、オペラ、カンタータなどの大規模で多くの曲を組み合わせて作られている楽曲における、叙情的、旋律的な独唱曲、または類似の曲に付けられる曲の名前である。
18世紀当時、本作の初演地の18世紀当時、本作の初演地のライプチッヒではコーヒーの依存症が社会問題となっており、バッハは1732年~1734年頃にこれを題材として書いた喜劇といわれています。
ゲオルク・フィリップ・テレマンが設立したコレギウム・ムジクム(大学生主体の演奏団体)によって、ツィンマーマンのコーヒーハウスで演奏されたそうです。バッハの時代のライプツィヒにはコーヒーハウスが8軒あり、大繁盛していたが、このコーヒーハウスの中には音楽も提供する店が出てきて、バッハ自身もコレギウム・ムジクムとともに出演していたといわれている。このコーヒーカンターの初演は、ライプツィヒの話の筋は、流行のコーヒーのことばかり考えている若い娘のリースヒェンに、頑固おやじのシュレンドリアンが、何とかコーヒーをやめさせようとするやりとりから成り立っている。作詞は農民カンタータと同じくピカンダーであるが、もともとの歌詞は第8曲までしかなく、最後の2曲は追加された。聞いてみるとこの追加された第9曲に話しの’落ち’があるのだが、この部分を追加したのがピカンダー自身かバッハの手になるものなのかは不明である。
☆ カンタータ211番 BWV211 Kaffee-Kantate(コーヒー・カンタータ)
おしゃべりはやめて、お静かに (Schweigt stille, plaudert nicht)
【歌詞】
第1曲 レチタティーヴォ(語り)
(語り手)
おしゃべりはやめて、お静かに。
今から始まることの次第をお聞きください。
そうら その名もいかめしいシュレンドリアンが
娘のリースヒェンを連れてやってきました。
どんな仕打ちを娘から受けたのか、
よく聞いてみましょう。
第2曲 アリア(詠唱)
(父 シュレンドリアン)
子供というのは、
厄介千万、苦労の種でしかない。
娘のリースヒェンときたら、
毎日毎日、何度も何度も、言ってきかせても、
すぐもう一方の耳から出ていってしまう。
第3曲 レチタティーヴォ
ソプラノ、バス、通奏低音
(シュレンドリアン)
この厄介者、はねっかえり娘め!
いつになったらわかってくれるものやら。
コーヒーなんかやめなさい!
(娘 リースヒェン)
まあお父さん、そう厳しいこと言わないで。
もし、一日三回のコーヒーが飲めないなら、
とっても残念なことだけど、
しなびた山羊の肉みたいになっちゃうわ。
第4曲 アリア
(リースヒェン)
ああ、コーヒーの味の何と甘いこと!
千のキスよりまだ甘い、
マスカットよりもっと柔らか。
コーヒー、コーヒー、コーヒーなしじゃやってけない。
私を何とかしようと思ったら、
コーヒーをくれるだけでOKよ。
第5曲 レチタティーヴォ
ソプラノ、バス、通奏低音
(シュレンドリアン)
もしおまえがコーヒーをあきらめないなら、
結婚パーティーには行かせないぞ。
散歩に行くことすら許さない。
(リースヒェン)
ぜんぜんかまわないわ、コーヒーさえくれたらね。
(シュレンドリアン)
わかったぞ。
はやりのスカートも買ってやらない。
(リースヒェン)
そんなのなくても、死にゃしない。
(シュレンドリアン)
窓の中から、町を眺めることも
できなくしてやる!
(リースヒェン)
平気平気、おんなじことよ。
私はただコーヒーを飲ませてって言ってるだけよ。
(シュレンドリアン)
帽子につける金銀細工も、
手に入らないぞ。
(リースヒェン)
かまわない、でも、私の楽しみだけは取り上げないでね。
(シュレンドリアン)
この無礼者め、
コーヒー以外、何にも要らないというわけか?
第6曲 アリア
(シュレンドリアン)
わがまま、強情な娘は、
まったくどうにも手におえない。
でも、「泣き所」さえうまく見つけたら、
しめしめ、何とかできるだろう。
第7曲 レチタティーヴォ
ソプラノ、バス、通奏低音
(シュレンドリアン)
さあ、お父さんの言うことを聞きなさい!
(リースヒェン)
コーヒーのこと以外なら、何でもね。
(シュレンドリアン)
勝手にしなさい。
ところで、結婚する気はないんだろうな。
(リースヒェン)
父さん、もちろん夫が欲しいわ。
(シュレンドリアン)
誓って、結婚なんかは許さないね。
(リースヒェン)
コーヒーをやめないなら?
ああお父さん、わかりました、それならもう、
コーヒーなんか飲みません。
(シュレンドリアン)
やったぞ、とうとう言うことを聞かせた!
第8曲 アリア
(リースヒェン)
きょうのうちにも!
お父さんが許してくれた。
ああ、旦那さま!
ほんとにいい気分、
早く会いたい、
コーヒーのやめた代わりに、
今日ベットに行く前にでも
がっしりした素敵な旦那さまかみつかりますように。
第9曲 レチタティーヴォ(語り手)
(語り手)
こうして、シュレンドリアンさんは、
急いで娘のリースヒェンのために、
婿を探しに出かけました。
でも、リースヒェンは、
婿殿をうちに入れる前に、
こんな約束をさせようと思っていました、
「いつでも飲みたいときに、コーヒーを飲ませてくれるように。」
第10曲 合唱
猫はねずみとりが止められないように、
娘はコーヒーがやめられない。
母さんも、おばあちゃんも、
みんな飲んでる、
そんなコーヒーを娘がやめられるわけないでしょう!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【説明】
さて、当時のコーヒー事情は現在とは全く異なったものでした。ロンドンのコーヒーハウスは女人禁制とされ、バッハの生きた時代のドイツでも「女性はコーヒーを飲むべきではない」とされていました。
このような風潮に反発する女性の声を代弁したのが詩人のピカンダーでした。当時のコーヒー事情を風刺して書かれた『おしゃべりをやめて、お静かに』(1732年頃)という作品は、娘のコーヒー好きをなんとか止めさせようとする古風な父親の奮闘ぶりが詠われたコミカルなやり取りの内容です。1734年頃、この作品に曲をつけたのがバッハで、今日では『コーヒーカンタータ』と呼ばれています。
バッハは、1750年にその生涯を遂げました。バッハの遺産リストの中には、楽器や楽譜と並んで、 5つのコーヒーポット及びカップ類が含まれていたそうです。楽器の個性を深く見つめたように、コーヒーの味わいもきき分けていたのでしょうか。
☆ その他の作曲家や文学者とコーヒー
■ベートーベン・・1770年~1827年。大の珈琲好きで、必ず60粒のコーヒー豆を自ら数えて飲んでいたそうです。また、必ず自分で豆を挽いていたともいわれています。神経質な性格がこんなところにも出ていたのですね。
■モーツァルト・・1756年~1791年。モーツァルトは8歳からコーヒーを飲んでいたといわれています。やはりコーヒー好きで有名だったそうです。バッハとカフェで出会った話は有名ですし、死の直前までコーヒーを飲んでいたといわれています。彼の遺産リストの中には「コーヒーミル2台」があったそうです。
■タレーラン・・1754年2月13日 – 1838年5月17日
フランス革命から、第一帝政、復古王政、七月王政までの政治家で外交官である
「コーヒー、それは悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純で、まるで恋のように甘い」
■バルザック・・・1799年5月20日 – 1850年8月18日)、19世紀フランスを代表する小説家
「コーヒーだけが、想像力豊かなこの労働機械の活動を再々うながす黒い油であった」
かなりのコーヒー党で、バルザック自身もコーヒーを入れるのが上手だったそうです。夜中に大量(50~60杯と言われている)の濃いコーヒーを飲んではひたすら執筆する生活を、およそ20年もの間続けたという彼の生き様が、この言葉からも伺える
■ヴォルテール・・・1694年11月21日 – 1778年5月30日、 フランスの哲学者であり、作家、文学者、歴史家
一日80杯もコーヒーを飲んで85歳まで生きたことは有名な話です。
