コーヒーの赤い実(コーヒーチェリー)
随分、朝晩は涼しくなり一気に秋の様相になってまいりましたね。これからは、だんだん空気も乾燥してコーヒーがおいしい季節になります。
アイスコーヒーの時期にこのブログを始めましたので、何回かに分けてアイスコーヒーを取り上げてみましたが、ご理解いただけたでしょうか?
本来は、実際に飲んで五感で感じていただくのが一番ですが、画面だけではそういうわけにいきませんので、自身でいろいろと遊びながら試していただき、それぞれの味を楽しんで下さい。話が後先になりましたが、
「家庭で美味しいコーヒーを淹れて楽しむには?」
コーヒーの歴史的観点より、豆選びから順にお話ししていきたいと思います。まず、“コーヒーの生い立ち”から簡単にお話ししていきましょう。
この写真の説明文
コーヒーといっても種類はいろいろありますね。ブラジル、コロンビア、グァテマラ、キリマンジェロ、ブルーマウンテン・・などなど。いろいろな国や産地のコーヒーがあります。
それぞれが全く違ったコーヒーと思っている方が多いと思いますが、実はこれらのコーヒーはほとんど、元は同じ豆から派生した兄弟コーヒーなのです。
厳密にいうと、イエメンの種が世界中のコーヒー産地に植えられ、それぞれのコーヒーになっただけなのです。全ての豆は「モカ」より始まったのです!
私たちが知っているコーヒー豆のほとんどは、アラビカ種という品種の豆で、エチオピアとイエメンが原産といわれています。アラビカ種というくらいですのでアラビア原産の種ということになりますが、植物学的にはエチオピアがルーツではないかという説が有力です。
15世紀以前に、エチオピアで自生していたコーヒーノキ(コーヒーの樹の学術名)が対岸の国イエメンに植樹され飲用が始まり、その後、飲用がアラブ圏、EUに伝わり、17世紀には世界中へと広まっていったのです。
ヨーロッパ各国にコーヒーが普及し始めると、イギリス・フランス・オランダの東インド会社は、イエメンからの輸入取引を始めました。コーヒーの積み出しが行われたイエメンの小さな港の「モカ」には各国の商館が建ち並び栄えました。「モッカ」はヨーロッパでは最初のコーヒーブランドとなったのです。
イエメンはコーヒーの栽培を独占するため、コーヒーの苗や種を国外への持ち出すことを固く禁じ、禁を犯せば死罪という重罪が課せられました。生産地の拡大は、イエメンにとってはもっとも警戒しなければいけなかった専権事項だったのです。
しかし、こういったものには必ず抜け道があります。
ケルンコーヒーのサイトより抜粋
1610年ババ・ブータンというインド人がメッカ巡礼のおりに発芽できる状態のコーヒー豆を手に入れ、故郷に持ち帰り、南インドのマイソール海岸Mysore(現カルナタカ州)に植え栽培に成功したのです。
その後、オランダ東インド会社が、1658年セイロン島へコーヒーの苗木を持ち込み少量栽培に成功しました。さらに1696年には、インドネシアのジャワ島で大量生産に成功しました。
その後、コーヒーの苗木がオランダの植物園に移され、フランスのパリ ー>マルチニーク島 ―> 南米ギアナ -> ブラジル、キューバなど、南米、中南米に次々と植樹されていきました。全てイエメンの種が各栽培地に植えられたのです。
いかがでしょうか! 私たちの知っているコーヒーは、元は同じコーヒーなのです。
こうして、イエメンより世界に広まったコーヒー栽培は、今では80ほどの国や地域の2,500万余りの農家で、推定150億本のコーヒーの木が栽培されています。
そして、毎日22億5,000万杯のカップコーヒーとなり、世界で一番飲まれ愛されている飲み物の王様となりました。
