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2017年イブラヒム・モカ、ムニール・モカ

暑さ厳しい日が続いていますが、会員の皆様におかれましてはお元気でお過ごしの事と存じ上げます。

お陰様で共同購入は今年で21年目となりました。会員の皆様には心より感謝申し上げます。

訃報ですが、会の創始者、森光宗男氏が昨年12月にお亡くなりになりました。
会の中心で支えでもあった森光氏がいなくなり解散なども考えましたが、
彼の意思を継いで一層発展していかなければと考えました。
皆様の一層のご協力を賜りますようにお願い申し上げます。
 
今年度も継続的なイエメンの内戦事情により輸入が難しく、
昨年に前年度相当をワタルには発注してありましたがなかなか良い知らせがなく、
「今年は無理か?」と思っていましたが、何とか購入することができました。

しかし、例年の半分程度しか購入することができず、
会員の皆様の希望購入数を満たすことができない状況となりました。

8月15日前後に日本に到着するとの連絡がありましたので、
順調にいけば9月初めには出荷準備が整うと思います。

但し、皆様にはご無理申し上げますが、これらの諸々の条件を踏まえて
希望数をお願いしたいと思います。

イブラヒム・モカの珈琲豆

イブラヒム・モカ(バニー・イスマイル)
イエメン西部山岳地帯のバニー・イスマイル村(標高2000メートル前後)で産出される小粒なモカ種で、世界のコーヒーの原種となったコーヒーです。
 浅炒では独特のスパイシーな香りと酸味、豊かな甘味を醸し出します。小粒ですが完熟豆ですので、深炒りにも十分耐える力を持っていて、豊かな味わいと香りが楽しめます。
 販売開始11年目となり、今では偽ブランドが出回るほど人気となりました。
ムニール・モカ(ハウラーン)
イエメン最北部の最優良産地、「ハラウーン」で、評価はバニー・イスマイル(イブラヒム・モカ)、バニー・マタルと並ぶ最高評価(三大優良産地)の豆です。特に甘味、コク、香りは秀逸です。
すでに、会員の方々から賞賛の声が届いています。

イブラヒムモカの会

待夢珈琲店はイブラヒム・モカの会の事務局です

この会の主旨は、率先的に知られざる良質なイエメン・コーヒーを日本の市場に紹介し共同購入することで、自家焙煎店の抱える問題を克服し、安定輸入をはかろうとするものです。

会発足15年を迎え、日本とイエメンにおける「モカの懸け橋」として、友好関係を築いてきた会員の皆様には心より感謝申し上げます。

おかげさまで、イエメンのアル・カブース社との友好関係は固い絆で結ばれていると確信しております。

今後益々のご協力をお願い致します。


イブラヒムモカ

イブラヒム・モカに関する出版物

DVD「モカに始まり、モカに還る ~イエメン、コーヒーのルーツから~」 待夢珈琲店制作
96年から05年にかけ、4回のイエメン渡航にて撮りためた映像を編集し1枚のDVDにまとめました。
今までイエメン・モカ・コーヒーは、情報が少なく「謎」と言われていました。
今回、誰もビデオ化することが無かったイエメンのコーヒー産地、精製工程、精選工程を中心に、収録致しました。
何百年も変わらない伝統的農法で作られてきた有機農法、無農薬のコーヒー、幾段にも続く段々畑、霧に包まれた雲上の楽園、岩陰に突然現れる緑の楽園・・・など、私たちが忘れかけてしまった、「変わらない事の素晴らしさ」を、イエメン・モカ・コーヒーを通じて感じ取って頂ければ幸いです。
 
DVD販売価格 2,000円(送料、振込み料含む)
オンラインショップの備考・その他の欄に「イエメンDVD購入希望」とお書き頂くか、
 またはFAX・TELにてお求めください。
★DVDナレーション全文 『待夢珈琲店』今井利夫★
「モカに始まり、モカに還る ~イエメン、コーヒーのルーツから~」 待夢珈琲店 制作
 
シェーク・オマールのコーヒー発見伝説に出てくる僧侶、アル・シャジリー
 モカの港にある彼を祭ったモスクは、数百年の時を越え、いまだ燦然と輝いています。
 
アラビア半島の南端に位置するイエメン共和国は、ほぼ100パーセントイスラム教の国です。
 紀元前10世紀「シバ王国」として栄え,首都サナアは、ノアの箱舟が降り立った所ともいわれています。
イエメンの街並みには、いろいろな人々が、さまざまな暮らしを営んでいます。
 伝統的な家は独特な建築様式で、石と日干し煉瓦で作られています。
サナアの旧市街には、モスクといわれるイスラム教の寺院が数多く見られます。
イスラムの世界でもイエメンの人々は特に信仰が深く、一日に5回、「アッラー」にお祈りをします。
 
世界の生産量の75パーセントを占めるアラビカ種のコーヒー・・・
 そのルーツともいえる・・・・イエメン・モカ・コーヒー
 コーヒーの女王とも言われ、その馥郁たる香りと豊かな味わいはコーヒーファンを魅了してやみません。
 
1454年イエメン国アデンの宗教学者ザブハ-ニーが、コーヒーの飲用を一般の人に初めて公開すると、コーヒーは瞬く間にイスラムの世界に広まっていきました。
ポットやジャズベといわれる取っ手のついた鍋に、砂糖、シナモン、カルダモン、ジンジャーなどさまざまな香辛料をいれ煮出し、上澄みをカップに注いで飲みます。
 
17世紀にはいると、コ-ヒーはヨーロッパ、キリスト教の世界にも広まりました。
 当時、唯一のコーヒー輸出港であった、イエメンの紅海に面した「モカ港」には、オランダ イギリス フランス等が次々にコーヒー商館を建てました。
モカ・コーヒー盛況時代の到来です。
ヨーロッパの消費拡大に伴い、イエメン産のコーヒーだけではとうてい需要が追いつかず、不足分を対岸のエチオピア産のコーヒーで補いました。
アフリカのエチオピアから一旦イエメンにコーヒーを運びいれ、モカ港から税関を通して輸出したのです。
よって、エチオピアのコーヒーにも「モカ」という名前がつけらているのです。
 
17世紀後半から18世紀になると、オランダやフランスがイエメンのコーヒーの木を自国の植民地に植樹して、それぞれの国で栽培が盛んになり、高価なモカ・コーヒーの需要は段々と減って行きました。
19世紀後半になるとモカ港におけるコーヒー輸出量は激減し、ついに、その輝かしいコーヒー貿易の歴史に幕を閉じることになりました。
 
現在、イエメンやエチオピアのコーヒーは、モカの港からは輸出されていません。しかし、今でも愛称として「モカ」の冠がつけられています。
 
イエメンは部族民族で、常に近隣同士の部族間抗争が絶えず、相手から身を守るために険しい山頂に家を建てて暮らしています。
 他の部族、民族を簡単には受け入れないため、近年まで外国の商社はもとより、国内の商社も、簡単にはコーヒーの産地に入ることができませんでした。
よって、数年前まで、イエメン・モカ・コーヒーの情報は非常に少なく、その独特のスパイシーな香りと、滑らかで深い味わいは「謎」とされていたのです。
 
イエメンには多くのコーヒー産地があります。そのほとんどは、年間降水量1000mm以上、標高1000m~2300mの肥沃な山岳地帯にあり、自然の雨水を最大限に活用した天水農法によって、全て有機農法、無農薬で生産されています。
 何十、何百段も連なる段々畑からは、今だ変わることの無い、伝統的なイエメンのコーヒー文化が見て取れます
 
☆コーヒー優良栽培地
イエメンのコーヒーの優良栽培地は、おおむね次のような地域です。
・・・・・《イエメンコーヒー分布図参照》・・・・・
 
☆ バニー・マタル
首都サナアより西に50キロに位置するバニーマタル地方は、標高1600m~2300mの玄武岩質の肥沃な土壌からなる、イエメン最大の優良産地です。
バニー・マタルとはアラビア語で「雨の子孫達」という意味で、名前からしても、コーヒーに必要な雨が多い地域であることがうかがえます。
 日本では近年まで、イエメンのコーヒーを全て「モカマタリ」と呼んでいましたが、本来、モカマタリとは、このバニーマタル地方のコーヒーのことだけを言い、ほかの地域で収穫したコーヒーは、モカマタリとは呼びません。
 
バニーマタル地方は大きく分けると、次の3つの地域からなっています。
 
1つ目は、山岳地帯に位置する「ハイジャルダルク」です。
 約70の部族が点在していて100本くらい単位のコーヒーが、とても険しい山脈の谷間に延々と続いています。この地域は余りにも険しい為、収穫されたコーヒーはいまでもロバで運んでいるそうです。
 
2つ目は斜面のテラスにある「ヒラーラ」です。
 南斜面でとても手入れの良いコーヒー段々畑が連なっています。
 私が訪れたこの農園では8000本から1万本のコーヒーの木が栽培されていました。
 樹高は4m~7m、中には100年はあると思われる古木もありました。
 歴史のある村なのでしょう!
 水が豊富で、ホースによる灌漑設備も整えられていて、高い所の畑にも、とても元気の良いコーヒーの木が植えられていました。
 
3つ目は川沿いに連なる「ブクラン」です。
バニーマタル地方の40%の収穫量を占める、最大地域です。
 標高はそれほど高いところではありませんが、川沿いの比較的平坦な地域に、手入れの行き届いたコーヒー畑が数十キロに渡って続いていました。
 水も十分確保されているので、収穫は質も量も毎年安定しているようです。
 
☆ バニーイスマイル
 マナハ村より北に約数十キロ、2つ目の山の山頂に、イエメンで最も評価の高いコーヒーが採れる、バニーイスマイル村があります。
 4輪駆動車も困難な、急勾配の激しい岩道を昇ること4時間、2100メートルの山頂から谷に向かって何百段と連なる「雲上の楽園」が広がっていました。
 手入れの行き届いた段々畑には、整然と等間隔に,コーヒーやカート、他の農作物が大切に作られていました。
 豊かで肥沃な土壌に加え、最良の栽培条件の一つでもある、霧が常に発生していました。
イエメン国内はもとより世界の優良産地にも、ここほど霧が発生している産地はそうはありません。
 北西の斜面のコーヒー畑にも、霧が発生しています。
 北の斜面では、険しい谷間で少量作られています。
 原生種の高地産ゆえに、豆は丸くてとても小さいですが、味、香りは世界最高級のコーヒーです。
 大量生産は出来ませんが、今のまま大切に守ってゆきたい産地のひとつです。
 
☆サイヒ
 サナアから北西に約60キロにサイヒ村はあります。
あたり一面岩だらけで、まるでイエメンのグランドキャニオンです。
 草木一つない激しい岩道を車で走ること4時間、標高1800mの岩山のあいだに、突然緑の村が現れます。
この地域は土壌が化石質で、貝殻などが詰まった化石がたくさん見られます。
 昔、この地域は海の底だったのでしょう。
 岩の間から湧きでる、清水が流れる川沿いには、両岸に比較的若木のコーヒーの木が栽培されていました。
 水はわりあい豊富で、安定した収穫が期待できそうな地域です。
 
☆ ヤーフェ
 タイズの東から、バイダに向かう標高1600メートルから2000メートル、山岳地帯のワディー沿いにヤーフェはあります。
 殆どの優良産地が、旧北イエメンに点在する中にあって、珍しく旧南イエメンの優良産地です。
 標高によって、下ヤーフェ,上ヤーフェに分かれています。
 特に上ヤーフェは歴史が古く、100年以上も経っている古いコーヒーの木が多く見受けられ、手作業によって収穫されていました。
 比較的広大な地域で栽培されている豆は原生種に近く、モカ・コーヒーの特徴を数多く兼ね備えています。
 質、量とも安定した収穫が期待できるでしょう。
 
☆ハッジャ
首都サナアから北西に約80キロ、標高1700m、山の斜面にハッジャ村はあります。
ここも、他の産地同様、斜面を利用した天水農法で栽培されています。
 広大な斜面の険しい谷底にコーヒーの樹が植えられていました。
ハッジャでの最大の課題は、安定した水の確保ですが、こればかりは今のところ、天の恩恵に頼るしかないようです。
 山あいの村の、人懐っこい純粋な子供たちの姿がなぜか印象的な村でした。
 
☆アーニス
 マアバルから西に数十キロいった山岳地帯にアーニス村はあります。
 標高は1900mで、比較的平坦な谷間で生産されています。
オレンジ畑の隣にコーヒー畑はありました。手いれの行き届いた大きなコーヒーの樹が整然と植えられています。
 木は、一本の幹からなっていているスタイルで、栄養が良いのでしょう、幹も太く、葉もしっかりついた立派な木には、ボリュームのある元気の良い実が沢山なっていました。
 
☆バニー・ハンマード
 タイズの西、数十キロの所に標高1200mのバニー・ハンマード村があります。
この村は平坦で緑豊かな産地です。標高が低いため気温が高く、コーヒーの樹は大きなシェイドツリーによって守られています。
コーヒーの樹は、一箇所から数本の幹が出てくる栽培方法を取っていました。
 一本の幹は細く、栄養がそれほど行き届いていないようでした。
 家畜のヤギも雑草取りの手伝いをしてくれています。
 村の人に聞くと、ヤギはコーヒーの葉っぱや実は食べないと言っていました。
 
☆ウダイン
 イッブから西に約数十キロ、標高1400メートルの所に、コーヒーの歴史が古いウダイン村があります。
 比較的標高が低いため、たくさんの大きなシェイドツリーに守られて、ワディー周辺に密集して栽培されています。
ここの木もかなり細くて、一箇所から数本の幹が出る方法取っていました。
もう一箇所の栽培地に行くと
 イエメンでは珍しい、バナナの木をシェイドツリーにしているコーヒー畑がありました。ここのコーヒーの木はそれほど高くなくて、バナナの木と丁度バランスが取れているようでした。
この地域は、コーヒーに最も必要な水の確保が大変で、毎年、コーヒーの収穫が安定していません。
 近い将来、他の作物に転作する日がくるのかもしれません。
 
☆ コーヒーの収穫と乾燥
イエメンではコーヒーの実は全て手摘みで収穫しています。
 収穫したコーヒーの実は、家の屋上のテラスにおいて10日~2週間程度天日乾燥されます。
 乾燥が終わったら自家消費用と販売用に分け、必要なときに仲買人に売りに行きます。
 
☆ コーヒー集荷所
 主要産地には、それぞれコーヒー豆の集荷所があり、各地の仲買人が集荷所までコーヒーを売りに行きます。
 首都サナアにはコーヒージュムルクといったコーヒー市場があります。
また、コーヒーの名産地マナハ村には、バニーイスマイルやハラズなど、周りの産地から持ち込まれる集荷所があり、天秤ばかりを使いコーヒーの実を取引しています。
 
☆コーヒー豆の脱穀と精選と出荷
 集荷所で取引が成立した豆は、別のところで脱穀されます。
イエメンでは、脱穀は全て石臼で行います。
 石臼歯の付いた電動脱穀機が一般的で、粗い目の臼歯が使われています。
 何故、石臼歯なのか?色々な説がありますが、一番の理由として考えられるのは、上質なコーヒーの殻を取るには、石臼歯が最も適しているということでしょう。
イエメン人にとって、殻はとても重要なのです。
 脱穀されたのち、人の手によって豆と殻とに大まかに選別されます。
 大きな商社では、最近、機械で行っている所もあるようです。
 選別機にかけられたコーヒー豆は、ほとんどが輸出用に回され、別の場所でもう一度ハンドピックされます。
 殻は100パーセント国内消費用に使われます。
では、いったい殻は何に使うのでしょうか?
イエメンにはコーヒーの殻を使った「ギシルコーヒー」、という珍しい飲みものがあります。
 取っ手のついた鍋やポットに殻とカルダモン、ジンジャーなどの香辛料を入れ砂糖で甘味をつけます。
そのスパイシーな味わいは、薬の葛根湯に似ています。
 通称「イエメンコーヒー」とも呼ばれていて、イエメンの人たちは、豆を使ったコーヒーよりも、このギシル・コーヒーを好んで飲んでいるようです。
 
大まかに選別された豆は、各地のハンドピック所に運ばれ最終チェックを行います。
ホデイダにあるこの工場では、大勢のアフリカ系の女性達が、バニーイスマイル産のコーヒーをハンドピックしていました。
 人海戦術によるハンドピックの光景は、機械化に慣れた私たち日本人には、驚きの光景でした。
ハンドピックが済んだ豆は、その後60キロの袋に詰めて、それぞれの国に輸出されます。
 
☆カートとまとめ
 いかがでしょうか?
このように、ほとんどが昔から変わることなく人の手によって受け継がれている、イエメン・モカ・コーヒー。
この生活、習慣、文化がある限り、イエメン・モカ・コーヒーはいつまでも変わることなく、その香味を保障してくれることでしょう。
 
しかし、今、コーヒーの心配事がひとつだけあります。
それは、カートです。
カートは、日本のお茶の葉に似ているアカネ科の植物で、新芽だけを口の中に噛みためていき、食べたり飲んだりはしません。
イエメン人の生活には、無くてはならない噛み物です。
 毎日、午後から、友達同士のくつろぎの時間を、カートを噛みながら過ごします。
しかし、ここで問題なのが、良質なカート産地と、コーヒーの産地は同じだということです。
カートは一年中新芽が出るので、毎朝、街の市場に持って行けば、容易に現金になりますが、コーヒーは一年に一度しか現金になりません。それも、とても労力がかかります。
 経済的な理由も含めて、コーヒー畑が、年々カート畑に転作されています。
これは、時の流れとしては止められないことなのでしょうか?
 今、私たちは、何らかの形でイエメン・モカ・コーヒーを保護、推進するアクションを起こさなければいけない時期にきていると思います。
 
世界のコーヒー生産量、消費量は年々増加の一途です。
 生産性を重んじた経済優先のコーヒー豆が増え、どこの国のコーヒーも同じような味わいになってきました。
コーヒーのルーツ・・イエメン・モカ・コーヒー、その生産性を排した伝統的な香味に接した時、「変わらないことの素晴らしさ」・・を実感させられます。
アル・シャジリーモスクは、モカ・コーヒーの復興を祈って、今も世界に向け光(ム二-ル)を放ち続けています・・・・。
コーヒーはいつしかまた、モカに還るのでしょう
 
2005年 6月30日 待夢珈琲店 今井利夫